2010/08/31

言葉はいらない

今朝のニュースでは「カトリーナ前よりビジネスや学校制度は良くなってる」と言っていた。

ほんまかいな。うそやろ?

毎週フレンチクオーターで働く身にはわかりますよ。アメリカの不景気が。人の数が全然ちゃうわい。

学校はーーー下を切り捨てたのかもね。

Mari_pic1_2  この写真を見るだけで説明はいらないだろう。「被災地ツアー」は9th wardだけではない。そこだけ行ってわかったような気になってはだめだ。町全体を見なきゃ。皆がどういう所で暮らしているかを。

これは皆自宅から撮ったもの。うちの辺りは高速に近く、持ち家も多いので復興はよそより進んでいると言えるだろうが、それでも自宅の周りはこの通り。

Mari_pic2 1、右隣。すぐ隣は潰され、階段だけ残っており、その裏も同様。空き地は草だらけ。時々うちが除草剤を撒いたり、塀の近くは刈ったり。
2、斜め前。カトリーナの半年後くらいに持ち主は亡くなってそのまま。伸びた草でそろそろ家が見えなくなってきている。その隣は途中まで直したところで資金がなくなってそのまま。

2008/02/08

08年マルディグラ、被災家見回り

まずマルディグラ。トレメブラスバンドもさすがにもうZULU パレードはやらなくなった。New Birthがやっていた様子。そんなわけで、娘の空手友達W君の家によばれて皆で出かけた。ニューオリンズの隣町、メタリーのパレードが通る大通りのすぐ裏に住んでいるのだ。

親戚やなんかが集まって食べたり飲んだりしている、正しいニューオリンズの家族のパレードの過ごし方という感じであった。「クリスマスは何もしない」と言うW君のお母さんは,パレードの日は張り切ってビーンズからジャンバラヤからローストまで作っていた。食べてパレードに歩いて行く。この気楽さ。
大通りの真ん中の芝生のところに場所が取ってあった。W君のお父さんは朝5時にこの場所を取ったんだそうだ。W君の両親はニューオリンズっ子、壊れたLondon Canalの辺り、Gentily地区出身、10才頃は友達とバスに乗ってフレンチクオーターに遊びに行ったり、ファッツドミノを海水浴場(湖水)で観たりして育ったのだ。

道もCanal St.のようにめちゃくちゃ汚れて混んでいるわけではなく、子供連れにはちょうどいい具合だった。パレード自体は勿論、ニューオリンズの方がいろいろ趣向を凝らしている。高校のブラスバンドも少ないし、踊り子たちも張り合いがないのか、踊らないで歩いてさぼっている。しかし安全だ。

ビーズはおっさんがやたらに集めてしまった。娘はビーズより,時々投げてもらう他のもの、ボールやら何やらに興味がある様子。終わりの方でプラスチックの剣(日月神光剣と書いてある)を勝ち取って満足したもよう。彼女は「ルパン三世」にはまっており、石川五右衛門の真似をするのが好きなのだ。

W君と仲良く6時過ぎまで遊び、7時に帰宅。私はすっかりアレルギーがひどくなった。娘に寝る支度をさせてから空港に向かう。

去年のチャリティコンサートの九州部門の責任者、熊本YMCAのKさんのお迎えである。ダラス辺は大嵐だったようで飛行機は1時間遅れ。おまけに荷物はひとつ前の飛行機のものが沢山積まれてきていて、そのため意図的にであろう、Kさん他25人くらいの人たちのスーツケースは来なかった。おそらく次の便に乗ってくるのだ。その手続きに時間がかかり、宿泊先に送ったのは12時。

ニュースで見たらクオーターの中はあまり混んでいないようだったが、夕方の雨が幸いしてか、私らがずっと住んでいたお宅付近は,嘘のように静かであった。道に落ちてるビーズやビール瓶に名残を残すのみ。今年のマルディグラは人手が少なかったというわけだ。先週の日曜も、雨とはいえ、クオーター内はがらがらであった。

で今日。アレルギーはひどいが、Kさんの恩に報いるためにも、一日運転手を申し出る。「9th wardを」ということであったが、9th wardを観光したくはない。Kさんにそんな意図があるわけではないにせよ、思わずそう思った私であった。

観光でなく、きちんと見せるためにどうしたらいいか。娘の祖母の家に連れていった。ちょうど、うちのおっさんも来たので、家の中まで見せる。

私はハリケーン以来,この一画まで入ったことはなかった。2005年10月、まだ兵隊が見張りをしていて入れなかったのだ。昨日まで出入りしていたところに、赤ちゃんの娘を連れていった所に、彼女が泊まったりした所に、クリスマスは皆で集まった所に、兵隊がいて入れないなんてどうかしている。
しかし「まだ死体が片付いていないので」侵入禁止ということだったのだ。その禁が解かれたのは05年暮れだったが、死体はまだまだ、倒れた冷蔵庫の下から、屋根裏から、車の中から出て来たものだ。

祖母の家は傾いてはいるものの、建っていた。ドライブウェイのピーカンの木もあった。両隣はつぶれてなかった。というより、運河を渡った向こうは取り壊しがどんどん進んだため、やたらにガランとした野原になっていた。家がポツンポツンと。或は家の土台だけが残されて遺跡のように。

ここいらは貧しいスラム街ではなくて、おじいちゃん、ひいじいちゃんが真面目にコツコツ労働して貯金してささやかに建てた家を受け継いできた、という所なのだ。高速道路からは遠くて商業開発はされていなかったのでさびれて見えたが、実は国防軍の基地と運河にはさまれた、機密上、大事な土地なのである。皆が真面目に働いて建てた家を横取りするわけにもいかないので政府は何もできずにいたのだが、ハリケーンで三匹の子豚の話のように、木の家はなぎ倒されてしまった。17th street canalの方はレンガの家が多かったので、中はぐちゃぐちゃでも外見はかろうじて残っていたが木の家は跡形もなく押し流されてしまった。

2007年に入った頃、漸く政府はここいらの家の残骸をかたづけ始めた。去年の写真は ウエブサイトNew Orleans Connectionの方で見られるが、今年も風景は変わっていない。野原が広がっているだけ。しかし流されなかった家の幾つかは自力で立ち直っている。家の土台を持ち上げて、ここに住むぞと言う意気を見せている家もある。

ここいらはどうせ危ない、他に行った方がいいと言われても、ローンの払いが終わっていなければ払い続けなくてはいけないし、他人が敷地内で怪我をしたらいけないから保険も払わなくてはいけない。それで更によその土地を買って新しい家を建てるなんていうのは、普通の庶民には無理なことだ。「貧しいから無理」というわけではないのに、マスコミはそう書き立てる。ハリケーンの被害跡ならまず 9th wardよ、とばかりに観光客がバスに乗って来る。それ以前は訪れたこともない人たちがしたり顔でやって来る。
「大変でしたね」「あの堤防を見なさい、今にも倒れそうですよ」「ここいらは全部住宅街でした」そしてハリケーンを体験した気分になるのだろう。

運河にかかる橋を渡る。子守りが急に来られなくなった時、おっさんに郵便物が来ているという時、祖母の薬を今日中に取って来てくれなどと言われた時、私はこの橋を渡ったものだ。Tricouというインディアンみたいな名前の道のすぐ後、Delery St. ニューオリンズの一番はずれの通り。

「なんか食べましょう」というKさんをベトナムレストランに連れていこうとしたら、旧正月で休みであった。その一画に出来たメキシコレストランに行く。メキシコ移民の、メキシコ労働者のための手軽なお店や屋台が町中にある。油っぽくなくておいしかった。マンゴージュースを飲んだ。

London Canalの辺を通って美術館に行く。London Canalの側も結構ガランとしていた。倒れた堤防の箇所は継ぎはぎで直してある。しかしその際まであった家は、結局,どこまでを更地にするかという基準が出されなかったのだろう、壊したり残したり、持ち主の困惑をそのまま表している。ここをさらに湖まで行くと、本当の大金持ちの豪邸が建ち並ぶ。その辺は水は入らなかった。湖のすぐ側なのに。

シティパークはハリケーンで大きな樫の並木がなくなったので、苗木をずらっと植えてあった。以前のようになるまでには随分かかるだろう。

インディアンアートの特集。アンドリュー・ジャクソンが大統領の時、Indian Removal Actという法律が出来、それはインディアンたちを保護するように見せかけていたが、実は先祖代々の土地からどんどん追い出してよいというお墨付きだった。南部のここいらにいたインディアンたちもそれでやられた。インディアンは遡れば紀元前3700年くらいからアメリカに居たと言う。

土地を追われたインディアンの呪いかなーーー

今日はこの美術館の目玉である、マリー・アントワネットの肖像画がなかった。ゴギャンやドガの絵もなかった。どこかを廻っているんだろう。帰り「ここがドガが住んでた家ですよ〜」などとKさんに見せ、フレンチクオーターのホテルにおろす。

帰宅後、甘いココアを作って飲んだ。アレルギーひどし。

2007/09/12

New Orleans Eastの教会にて

New Orleans Eastの教会での仕事。医者や弁護士、政治家などが集中して住む辺りのせいか、道によっては皆戻ってきているところもあり。その一画の大きな教会に招かれて、サックスのマイケル・ピアスとデュオで演奏しました。 

「皆の心が明るくなるように、教会の灯りはつけておきます」というPastorの挨拶があり、私も一生懸命やりました。大変喜ばれたので、またこの土曜日に参ります。 

こういうふうに各自が「自分1人でやるには疑問だけど、辛いけど、皆のために敢えてやらなきゃ」という強い意志を持って事を進めないと、とてもじゃないけどやっていけやしません。 

ここまでを先週、ミクシイに書いたのですが、これを読んだ友人が小さな娘さんも連れてわざわざ観に来てくれました。以下、彼女の感想ですが、あまりにも美しい文章なので、許可を得てそのまま載せます。

「バイバイ!ニューオリンズちゃーん 
 元気になってねー 
 また来るからねー 
 ジャズの練習しててねー
 演奏の後、ニューオリンズの夜の街灯りを後に、コーズウェイ・ブリッジで、私の娘が幼心に叫んだ言葉は、全くその通りで、求められている事を実際にするmariさんの姿に、幼心も感銘。 

 ジャズを練習する日常があって、それを待っている人々の所で演奏する。 

 ハリケーン・カトリーナの目がすぐ近くを通過して甚大な被害があったニューオリンズ・イーストのコミュニティーの「復活」を掲げた教会でのmariさんの演奏は、優しく思いやりのあり、熱が込められていました。 

 そこに集った人々からは「素晴らしい演奏有難う」とか「へぇー彼女、日本人?すごいね」などが聞えてきました。 

“ニューオリンズちゃん”の一人であるmariさんの姿に、多くの大人も感銘。 
 心が澄むような演奏を有難う! 

 この教会では、人の心持ちを明るくさせるイベントが次週も続いて行われますね。 

 mariさん、サックスのマイケル・ピアスさんの投じた一石が復興の力になりますように。 
以上です。文章も素晴らしいですが、小さなお子さんの感受性が泣かせますね。
ところで、土曜の教会の仕事には読売の記者さんも連れていったのですが、早速記事にしていただきました。
この方には何度か会って話をしているのですが、今回はニューオリンズの音楽的なことなど中心に話しました。
常日頃、私が言っている、「ニューオリンズ音楽の中にジャンルの仕切りはない」「踊れる生の音楽が、人々の生活の大事な部分を占める」ということです。
実際、この仕事でも、ジョン・コルトレーンやホーレス・シルバー、ゴスペルの曲を交え、最後は聖者の行進でセカンドラインです。

9/11、火曜の朝刊に載せて頂いたようです。
以下、同じ友人Mさんの感想をまた載せます。 
「 ジャーナリストである読売の記者さんは、mariさんの演奏を目を閉じて真剣に聴き入っていましたが、記者さんの頭の中にはニューオリンズの文化と歴史が駆け巡り、その文化を守ろうとする社会正義への思いも湧き上がっていたのかもしれませんね。 

 約130年も前のジャーナリストだったラフカディオ・ハーン(小泉八雲)がニューオリンズに強烈な魅力を感じて移り住みその魅力を伝えた事を引き合いに出すまでも無く、ニューオリンズには人間の性(さが)までさかのぼったのち生まれた多様な文化があります。 

 たくさんの人々によって素晴らしく醸成された文化は、やはり人々の手で守るしかありません。

全くその通りです。文化は人々が作っていく、人々のためのもの、なのです。
このことがわからない政治家はだめです。

2007/09/06

「地球アゴラ」という番組

NHKの「地球アゴラ」という番組、私は当然見た事はありませんが、今度の日曜9日の夜9時、出演する予定です。出るのは5分程度ですが、ニューオリンズのことなど聞かれて答えるものです。 


とはいっても、現在私は充電不足の燃料不足、日記を読まれている方にはおわかりでしょうが、とてもテレビ出演の元気などはございません。なるべく個人的なことには触れず、私が感情的にならないですむようにとお願いしてあります。 

時間もこちらの早朝で、寝起きの顔を全国にさらしてよいものか。 

ひとえに秋のチャリティコンサートの宣伝のためです。他の人たちが頑張っているので私も何かやらにゃあ、と思うからです。 

因にうちの電気はまだつきません。書類は市役所に出したそうなんですが、電力会社にまで回ってきていないようです。さぼってんのは誰なんじゃ〜? 

2007/08/25

百年に一回のstorm

百年に一回のstorm」

これが本当ならどんなに嬉しいでしょう。
今朝,娘を学校に送る車の中、ラジオのニュースで、工兵隊の担当者が喋っていました。
嘘でも幸福な気分になりました。

そう、幸福っていう気分。力が抜けてくような、さ。

で、ニュースキャスターが「ではたとえば、カテゴリ−1のハリケーンだったらどのくらいの洪水になりますか。或はカトリーナくらいのハリケーンなら?」

とたんに担当者は歯切れが悪くなり「カトリーナは、394年に1回のストームです。(どういう計算じゃ?)ーーー」
「ではカテゴリ−1では?」
「えーとですねーーー、あ、そうだ、この間のハリケーンDeanの映像を見ておりましたらーーー」

つまりこの人は、カテゴリーと水の量は比例関係ではないので、と言いたいようなのだが、しかしカテゴリーというのは、ハリケーンの強さを風速で分けた、一番分かり易く客観的な数字ではありませんか。

300何年に1回とか100年に1回のハリケーン、そんな確率を言われたって、100年、400年生きるわけじゃなし。

100年に1回のストームがこの間来たから、あと100年は平気ってわけでもない。来年、400年に1回のやつが襲って来るかもしれないんですから。

なんだかよくわかりませんねえーー

「幸福」な気分がたちまち崩れ、またtenseな頭に戻りました。いつも緊張してなきゃならんというのは、幸福ではないのかも。いい意味の緊張ではなく。

うちはまだ電気つかない。頭狂いそう。昔、小学生だったか中学生だったか『発狂〜」っていうのがはやってたけど、そんな感じ。

2007/08/14

Old friends come and go.

Gentily で生まれ育った人の話
空手教室で、その2つ年上の身体の大きい男の子のことはもう4年も前から知っていたのですが、うちの娘が彼と仲良くなり出したのは最近です。手裏剣や刀の話がきっかけらしい。父親同士も仲良くなったらしい。5月のファッツ・ドミノのコンサートにおっさんはこの子のご両親を招いていたし、お父さんのB氏はおっさんの手術の時、結構心配してはりました。

で昨日、空手クラスの後「うちの娘がW(その男の子)と遊びたいそうなんですが」というと「ここからすぐです。水着持ってるなら,明日にでもいらっしゃい」
とんでもない暑さ(華氏100度=摂氏38度)なんでそれもよかろうと連れて行きました。

アメリカの場合、こうして親が友達の家に連れていかねばならぬ=親同士も気が合わないと、ということがあります。今日は恥ずかしがりやの娘は「ママも一緒に居てね。初めてのおうちだし」
そうじゃなくても、一応、どんな家なのか見る必要があります。

結局2時半から6時までずっとお邪魔する羽目にーーーお母さんの話が面白かった。

「貴方おうちはどうです?」に始まって私の保険の話、空手の話、また戻ってハリケーンの話、教育の話。
B氏もお母さんのCさんも生まれ育ちはGentily(私の家のあるとこ。洪水の被害大でまだゴーストタウンだが、元々はいろんな階層のいろんな人種の人が集まって、持ち家の多い地域)、それも壊れたLondon Canalのすぐ側だとか。

「Ivan(カトリーナ前年のハリケーン。アラバマの方を襲ったが被害少なし)まで、避難なんかしたことがなかったわ。よその人には分かってもらえないことなんだけど。
 ハリケーンの時は、低い物は上に上げて、外に砂袋を並べて、料理もしておいて、皆ただ家でじっとしていたものよ。
 あの堤防(ロンドン)は壊れたことなんかなかった。水が乗り越えてくることはあったけど。家の中に1インチぐらい入って来たりしてね。長靴を履いて遊んでたものよ。
 大体、50〜60年代なんか、皆貧しかったんだから、いい車(州外まで運転できる車)でよそへ逃げてホテルに泊まって、なんてほんとの金持ちだけがすることだったわ」

彼らの家は17th Street Canalからそんなに離れていないMetarie(ニューオリンズの対岸)側にあります。
「Rita(カトリーナの1ヶ月後のハリケーン)の時は戻ってきてたの。あそこの堤防がまた壊れるかもしれないという見通しは発表されてなかった。後から工兵隊が認めたんだけど」

「大統領と知事が変われば少し良くなるかなーーとにかくね、危ない水路は閉めちゃうべきよ。Orleans Ave.の真ん中が広いでしょ、あれは元々水路だったのを潰したの。だから前例のないことではない。そうやって自然に逆らわないで,Mother Natureに任せるべきよ。金のかかる水門なんか作らないで。そうしたら私はここに居てもいい」

ちょうど5時のニュースでは市会議員Oliver Thomasが汚職問題で辞任に追い込まれるだろうという見通しを述べていましたが
「これは罠でしょうね。この人、スパイク・リーの映画に出たし。この汚職問題だって、事実としたら前の市長かそれ以前の話でしょ。今頃になって持ち出して」
確かにこの議員は、つい先日も「壊れたのはニューオリンズのじゃない、連邦政府の堤防です」と言っていたばかり。

教育関係で面白かったのは「うちの子はA.D.D.と言われたの。初め薬を貰ってたんだけど、それは気分が悪くなるからって本人が言い出したんでやめたの。注意して観察したら、インスタントや学校の変な給食を食べた後は気が荒くなるみたいなの。」

「冷凍食品について言えば、カトリーナの後、家に戻ってきたら冷凍庫の中の肉やなんかは腐ってるでしょ。ところが冷凍食品は臭いすらしない。洗ったら食べられるかな,って感じ。そんなのはおかしいでしょ、1ヶ月ほっといても食べられそうなんて。それだけ保存剤やなにかが入ってるってこと。そういう化学物質がうちの子には良くないんじゃないかと思って、もっと頻繁に料理することにしたの。そうしたら落ち着きがよくなった。だからADDじゃないのよ。勿論科学的にこれは証明できないけれど、私は事実として知っている」

ADDは集中力がないとかすぐ喧嘩するとか、そういう問題児に言われたりしますね。でも外ではW君は、うちの娘に水泳を教えようと一生懸命やっている。かれこれ2時間以上。楽しそう。
初めは「ママはそこに座っててね。でも見ないでね」と難しいことを言ってた娘も飛び込んでは上がって来たり、深い所にもちょっと行ってみたり。全然上がってこないでずうっとやっていました。

「私たちはそうやって(避難はしないで)うまくハリケーンとやってきたのに、あんなことになって、もう皆どうしていいかわからない。私は箱に詰めた物やなんか出す気になれないで、そのまま物置に置いてあるの」
私は新しい家の中を想像することが出来なくて、殆ど大工さん任せ。調度も何も揃える努力をしていない。
「そう。失った人はそうだし、失わなくて物はある私はこんなふうだし。」

6時前「さあ、もう出なさい」と言われて娘は着替えに行きましたがW君は「ご飯も食べてかない?なんかあるよ」と大人みたいに言う。犬を家の中に居れてきたからそろそろ帰らないと、と言いましたが、ま、喧嘩もせずにずっと遊べて大したもんだ。

Old friends come and go.

2007/08/09

廃墟

サッチモ祭で当地を訪れた外山さんは、今回はご自分のレンタカーで、9th wardではない他の所,普通の所を回ってご覧になったそうです。「廃墟のようなところで人々が生活している」と驚かれておられます。

私はその廃墟に近々戻らなくてはいけない見込みです。隣近所が空家だからとか、呑気なことは言っていられなくなりました。

私は洪水で水が入った3フィート分、家を持ち上げました。繰り返し書きますように、堤防は継ぎはぎ工事のいい加減なもので、新しく作られた水門も閉めるのに2時間かかる、排水ポンプは普段の大雨でさえ処理できないで道に水があふれています。

Gentily地区は皆3フィート持ち上げた方がいいと言われていましたが、その費用はどこからも出ませんので,市は強制しておりません。しかし自発的にやっている人は結構います。

ところが、昨日保険会社から手紙で「家を持ち上げて5フィートの高さになったから、保険の基準に合わないので契約を更新しない」と言ってきました。3フィートまでが基準だそうです。3フィート以上水が入って,被害に遭った人が大勢いるというのに。

州の担当に苦情を訴えましたが「保険会社により基準が違うので州としては何もできない。基準に合う会社を自分で見つけてくれ」とのことです。あの大洪水のあとも、基準は変わらないというのでしょうか。

5フィートの家をカバーする会社が一つありましたが、保険額は年3100ドルです。洪水前は1100ドルでした。去年はそれが1800に上がりました。

しかしこれは現在の保険が切れる10月末までに家に戻ったらの話で、住んでいない場合はこの保険は適応されません。その場合、骨組みだけカバーされる保険2500ドルというのに入ります。そして引っ越した時点で3100のに入り直しますが、
2500ドルは当然返ってきません。

一体どういう人たちがニューオリンズに住めばいいと、保険会社や政府は思っているんでしょうかね。

2007/08/02

「堤防は成らず」

堤防は成らず」

陸軍工兵隊はカテゴリ−5の強さのハリケーンを想定しての堤防を作るーーー筈だったのですが、とりやめになりました。 

私の税金を無駄に使っていい加減なものをチンタラチンタラ作り、それで洪水になって私が死んでも反省しないーーーという図式です。 
人間としての権利ーーー安全に暮らすという先進国なら当然の権利を剥奪されているというお話です。
ブログ『ニューオリンズからアメリカを学ぶ』より」

毎度おなじみ、しょうちゃんのブログです。「アフリカ系アメリカ人が住民の大半を占める都市にダメージを与える方法」というわけで、コメントされた方もこういう方法はひどいなあ、と思って読んでらっしゃると推測しますが、ところがどっこい! 

これは今ニューオリンズで行われている事実であり、この文章の作者は英語を話す人にみられる、皮肉をこめてこういうタイトルをつけたわけで、彼の頭でひねり出した事ではありません。 

街に帰って来るまでは皆それなりに希望に燃えているわけです。そして1年経ち,2年経ちして、げんなりしていくわけです。 

堤防のことはさておき、家に帰りたいのはやまやまなれど、両隣と裏が空家で、そのうちの何軒もが洪水後、ほっとかれたままであることを思うとーーーネズミなんかいっぱい居るだろうなあ、と思っておちおち寝られもしませんわ。(9th wardのことじゃありませんからね。フレンチクオーターから車で5分ですよ) 

それでもLucien BarbarinのCDのように 
It' s good to be home

♪♪♪

とうそぶく。 

もうヤケクソや! と言ってもいいかもしれない。 

さあ、どうしましょうかね。 


同じブログから、私の前のコラムに相応する記事の要約です。 
400年だか100年だか、何を言ってるかわかんなーい。 

これはしょうちゃんの訳がまずいわけではなく、工兵隊がこういう詭弁を弄しているということです。 

この辺りはどうせいずれ海の底になるから、石油を掘り尽くしたらあとは、金をかけるだけ無駄さ、と言っているワシントンの声が聞こえるようです。

2007/05/15

チャリティコンサート収益の寄付

去年12月のチャリティコンサートの収益金を、NOJSは5/7、 
Arabi Wrecking Kreweに寄付しました。AWKは、ミュージシャン同士がハリケーン後、お互いの家の片付けや修理を手伝っているうちに出来た団体とでもいいましょうか。現在は更に、ミュージシャンの新しい家や家具を調達するための寄付も行っています。 


というわけで、AWKの現在の大きな目標は "Carnival Time" というヒット曲で知られるソングライター、Al Johnsonの家を、Habitat Humanity(これは世界各地で災害その他のために家をなくした人に、住居を建設して提供する団体)が建てているMusician' s Villegeの中に買う資金を集めることです。NOJSの寄付金はそのために遣われました。 

http://jazzhounds.blog.ocn.ne.jp/ (NOJSの会長幹雄氏のサイト) 

Ernie-K-Doeを知っている人はかなりの通でしょうが、50〜60年代に全米ヒットを何曲か出した人です。一番有名なのが 
Mother-in-lawという曲です。アラン・トウサンの曲です。私は94年のジャズフェスに、Milton Batiste' s Magnificent 7th with Jessie Hill &Ernie-K-Doeで共演したことがありましたが、往年のスターの力量は衰えていませんでした。ハリケーンの数年前に亡くなりましたが、奥さんが今もMother-in-law Loungeというのをやっています。 

AWKとNOJSのミーティングはそのラウンジで行われました。日本領事館の副領事の立ち会いのもと、寄付金受け渡しが終わり、全員でアル・ジョンソンの家のあった所(水に流されて今はないわけ)、それから新しく家を買おうという、ミュージシャンズビレッジの見学に行きました。 

元家の方は、すっかり有名になった、Lower 9th Wardにあります。それも、壊れた堤防のすぐ側、テネシー通りです。 

ここではっきり書いておきたいのですが、何回も言っている事ですが、Lower 9th Wardは「貧乏黒人地域」ではありません。まずこの認識を改めて頂かないと、何故寄付をしているのかわからなくなります。 

ここは先祖代々(といってもアメリカのことですから遡れるのは奴隷制後、3代くらいですが)こつこつと真面目に働いて買った家を、子孫に譲り渡して来た家の集まっているところです。うちの夫の両親の家もここです。アルも40何年住んできたそうです。 

「ニューオリンズの貧しい黒人が車もなくて,愚かにも逃げ遅れて死んだ」という謝った認識では、何故全世界から援助がくるのか、何故その援助が必要かがわかりません。 

テネシー通りは漸く、政府の手が入って、壊れた家は殆ど壊され,更地にされていました。2、3軒レンガ作りの家が残っていたり、水にグワッとつぶされた家がそのままグシャッとなっていますが、あとは草や、生き残った木です。先祖代々の家は陰も形もないのです。皆,言葉も出ませんでした。 

ルイジアナ南部の石油採掘、これがすべてのカギです。石油を掘り続けるから地盤沈下が起こる。石油運搬のための水路を、ハリケーンで増えた水が押し寄せてきて堤防を壊す。その堤防は市のものではない、連邦政府の堤防です。 

更に言えば、ハリケーンによる被害モデルは学者たちから連邦政府に警告されていましたが、なんの具体的対策は出されませんでした。堤防決壊の知らせを隠していたのも連邦政府、救援物資をすぐに出さないでコンベンションセンターその他で水からは助かったのに死んだ人が出たのも連邦政府の責任です。責任追及委員会のようなものも時々出来るようですが、実際に責任追及には至らずに立ち消えになっています。 

言ってしまえば、ハリケーンという機会をしおに、ニューオリンズの市民は強制立ち退きにあったようなものです。その後補償もないのですから。 

Lower 9thについて言えば、あそこは実は商業的に有利な土地なのです。軍の基地と運河がすぐそこですから。つまり、住民が帰ってきて家を再建しない方が都合いいわけです。 

このからくりを多くの人に分かって頂きたいです。スパイク・リーのフィルムも、Big easy to big emptyも、すべてその点を告発しています。 

この点を踏まえた上で、現在この町の復興は、政府より寧ろ個人の力や全世界からの支援でなんとか続いている、だからこれからも必要なのだということを知ってください。 

そんなわけで、NOJSのメンバーがアルの元家を見て、それからミュージシャンズビレッジでいろんな国、州からのボランティアが働いている様子を見たのは,大きなことです。ジャズフェスの次の日でしたから「ジャズフェスを見るだけでなく、お手伝いにも来ました」というヨーロッパ人もいました。日本からもこういう動きがあって欲しいです。 

NOJS では、今後もチャリティコンサートを続けていきたいと言っています。

2007/04/30

新聞に載りました。 ”heartwarming versions”

厳密には音楽評ではないけれども。 
"It's good to be home, it's good to be home," said trumpet player William Smith while on the stage at the Economy Hall tent, where handmade second-line umbrellas bobbed from the hands of die-hard Jazzfest fans. 
Smith, front man for Mari Watanabe' s Chosen Few Jazz Band, delivered some platinum-plated standards: heartwarming versions of " When the Saints Go Marching In" and " Do You Know What It Means to Miss New Orleans." 
The latter tune needed no explanation for anyone who remembers when the levees broke. 
" That one has a lot of meaning for us," Smith told the crowd. 
Throughout the day, crowds soaked up the gorgeous weather and everything the city is known for-everything except the crime, police noted. 
音楽は人間の心のためにあるもの。誤解なきように言えば、だからこその練習なんだけど、やはり心が伴わなくては。 
そしてその心は厳しい現実から目を背けるのではなく、それに立ち向かっていく心。そのためにも起こった現実を忘れないでいたい。ニューオリンズも中近東も南太平洋も、おとぎ話や天国なんかではない。しかしその中にあって、皆の心を一つにして現実を動かして行こうとするのが本当なのではないか。そうやって地球は生き続けていくのではないか。 
そう考える私と私の仲間にとって ”heartwarming versions” は大変嬉しい言葉です。

2007/04/28

JAZZ FEST報告(その1)

天気は今までにないくらいのジャズフェス日和。暑すぎず、カラっと晴れて。

フェアグラウンドに着くと駐車場でスタックマン、ドウェインに会う。うんうん、皆真面目に早く来とるな。ウィルはまだだな。そう思ってエコノミーテントに行くと、控え室からラッパの練習の音が。おお、今日のウイリアムは気合いが入っとる。

何故かステージには今まで見た事のない奇怪な青いピアノが。
「どう?このBlues Piano は?」とクルーが冗談を言う。スタインウェイじゃなくてBaldwinなんだけど、まあいいわ。

カークは言い渡した集合時間10:45にウイリアムの携帯に電話をかけてきて「今、橋を渡ったところ」と連絡が入る。おまけに楽譜を忘れて来たと。うーん、私に言うのが怖くてウイリアムにかけてきたな。今橋を渡ったとすると、着くのは開始ぎりぎりかーーーしかし、11時には現れる。

毎年いる馴染みのPAの人がいない。とにかくメンバー全員、あまり離れないようにと頼む。モニターがなってないけど、そのお蔭で何とか聞こえる。

曲紹介などは前もって考えずにぶっつけ本番でやったんだけど、なんとかなった。45分しかないので、ソロも短めにどんどん進める。Gerald FrenchのボーカルをフィーチャーしたWhy don't you go down to New Orleansでは軽快なストリートビート、Dwayne Paulineがスタンダードの「座って自分に手紙を書こう(そんな邦題??)」そしてスタックマンがBlueberry Hillを大変ゆっくりと、ブルージーに。これでニューオリンズピアノスタイルを聴かせたつもリーーー今回自分のソロナンバーは入れていない。ウィルが Do you know what it means を(これは日本ではミス・ニューオリンズと略されるため、Ms. New Orleansと誤解する人あり)歌い出すと大きな拍手。

そしてゴスペルメドレーだが、あと12分なので「ゴスペルメドレーをやりますがーーー12分しかないよっ」とマイクで言って、あとはウィルに任せる。男どもが女のリーダーの顔を伺いながら進めるというショウは、このテントでは他にはあるまい?!
Street of the city に聖者の行進をくっつける。客席でセカンドラインの列が大きくなる。

私はメンバー紹介は自分でやるつもりで、Kirkの発音までゆうべ娘と練習しといたのだが、ウイリアムがそのままやってしまう。テストのヤマがはずれた気分、まあいいや。そのままTuba Fatsに突入。時間がないのでカークとジェロだけソロ、スタックマンがChosen Few はチューバファッツのバンド名だよ、というようなことなど言い、客席は盛り上がる。エコノミーテントはお年寄りの客もいて、この有名なブラスバンドのパレードでの定番にどうやって踊っていいかわからない様子も見られたが、でも皆身体を動かしている。拍手いっぱい。

後で白人ヨーロッパ系ミュージシャンからも、ステージ裏のスタッフからも褒められたし、成功したといっていいだろう。カークはコードを書いてあげた紙を忘れてきて、ちょっと間違えたので謝っていたが「いいからいいから」と宥める。メンバーが皆、ステージを盛り上げようと努力して、気持ちよくできたというのが肝腎なことなのだ。

4時間あまり、食べたり歩いたりうろちょろ。私も連れのYさんもプログラムを持ってこなかったが、コンゴスクエアでうちの娘によく似た女の子たち(大きなおでこ、頑丈な足)のパーカッションバンドを見たりする。カークのステージもちょっと見たが、ここでもPAに問題があるのだろうか。ギターの音ばかり大きくしてあって(ロックしか担当しない人たちがよくやる誤り)カークのベースラインがはっきり聞こえない。それをカークに伝えるすべはないのでそのまま立ち去るーーー来週のDDBBのステージではよくよく気をつけて要求しなくては。

さて、楽しみにしていたHeritage Hall Jazz Bandだが、PAがなってなくて、ピアノは普通の位置(バンドからちょっと離れている)に戻されてあって、他のリズムセクションがよく聞こえない。シャナンが聞こえないなんてさ。しかもスティーブが間違ったコードを弾いた曲あり。それでも歌い続けるJewel Brownはすごいのだが、ちょっと残念な出来になってしまった。しかし終わってからクドクド言っても仕方ない。マネージャーと何か問題があるのか、グレッグも機嫌悪そうでロデリック(Dwayne Paulineの弟。天才サックス)は「頭痛い」と言っている。で、早々に控え室を出る。

娘は学校のお友達のお父さんが連れてきてくれたので引き取ったが、お友達と日向で走ってたので顔が真っ赤。Yさんと飲み物を買いに行く。ーーー控え室の飲み物がもうなかった。

最後のバンド、本当はハーリン・ライリーとルシアン・バーバリンのコラボレーションの筈だが、ルシアンはまだツアー中(それでうちのバンドはドウエィンになった)で、何故かマイケル・ホワイトバンドのようになってるーーーそれはちょっと、いや、かなり実体が違ってるんじゃないの、と思いつつ,会場を後にする。ま、悪くなかったよ,今日は、ということで報告終わり。
明日はジョン・シモンズのステージが一番にあるが、夜仕事もあるので、その後すぐ帰る予定。来週の金曜の報告をまた書きます。

2007/04/27

小学校でのコンサート

去年の夏からずっと、NYのジャズファウンデーション主催の、ニューオリンズミュージシャンに報酬を払って、近郊の老人ホームや学校に1時間のコンサートをやりに行く、というのを1ヶ月に1、2回やっています。

時には往復3時間に及ぶ運転は楽ではないけど、この節、遠くに住んで何時間も運転して仕事に来るミュージシャンも多いし、ハリケーン避難の練習と思えばなんのその。

今日は幸い、ニューオリンズ市内の小学校の仕事。
ジャズフェス会場のフェアグラウンドに近い、しかしすぐ近所に,閉鎖された 低所得層団地がある、Gentily地区の小学校。

先月行った、Lulingという車で45分くらいのところの中学校に比べて学校は格段に汚いけれど、生徒はおとなしくきちんと座っています。3−5年生らしい。

随分おとなしいなあ、ニューオリンズの子は悪いっていうわけでもないんだなあと思ってハッとした。この子たちは皆、ハリケーンの被害者なのだ。この辺りに住んでいるということは、家も何らかの被害に遭っただろうし、水の中を避難した子もいるかもしれない。

メンバーはErnie Elly (drs) , Jamil Shalif (tpt), Louis Ford (cl), Sidney Snow (b).

今日はアーニーは機嫌よくて、「この子たちはお行儀がいいな」などと言っていたが、ドラムソロでうんと盛り上がるといつもやる、スティックを持ってあちこち、机や椅子や缶など叩きながら部屋中を廻る技を披露。

すると、それまでおとなしかった子供たちが喜び,中には自分のテーブルを叩いたり、アーニーのスティックをちょっと借りて叩いてみる子も出て来た。こんなのは今まではなかったな。さすが、ニューオリンズっ子たちだ!

更に質問コーナーでは
「なんでクラリネットにはそんなに沢山ボタンがありますか」
「なんでそんなに早くドラムを叩けるのですか」
「ピアノをやるのは難しいですか」
究極の質問は
Can anybody play instruments?

ジャミールはこれを「誰でも演奏できるようになりますか」という意味にとって答え始めたのだが、先生が素早く「今日はだめ、聴くだけですよ」とたしなめた。つまり、この子は、いや他の子たちも明らかに、楽器を演奏したがっているわけだ。

ああ、ニューオリンズだなあ、やっぱり。学校制度が悪かろうが、何だろうが、やっぱりこの盛り上がりはニューオリンズの子供たちだなあーーーと目頭が熱くなった私でした。

2007/04/09

"Basin St. Blues"

この有名なジャズのスタンダード曲は、以前から好きでした。ある時期までは、こういうもったりした曲はどうやって弾くのかよくわかりませんでしたが、DDBBをやめたばかりのカーク・ジョゼフの演奏を聴いてヒントを得ました。(リズムの問題が大きいということです)

現在の私は、この曲を弾く度に怒りを新たにします。
ハリケーン前の金曜日、その前の週にルイジアナミュージックファクトリーで行われたCDプロモートコンサートに来ていた地元ラジオ局WWOZのDJに、番組に来るように言われていました。よく知らないDJで(今、名前すら覚えていないーーー名刺を失ったため)、番組を聴いてみると「ルイジアナパーティー!」と銘打った、やたら明るいやつーーー心細くなって私は皆に電話するーーー
いとこのドック・ワトソンは「行ってあげたいけど、今日は病院に行かなきゃいけないんだ」ウィルは学校。ジェフェリーが行ってあげる、と言い、スタジオで待ち合わせしました。

ジェフェリーを連れてきたこともあって、DJは私のCDの「スーザホーンとピアノの組み合わせの面白さ」を盛んに言いました。私はチューバファッツとの演奏が長かったし、カークともよく共演していたので、自分ではわからなかったけど、これはユニークなポイントとしてもっと押し出すべきだなと気がつきました。

帰り、ジェフェリーを送っていく車で、秋に日本行きが予定されているトレメブラスバンドのことなど話し、ジェフェリーは名前が載っているにも関わらず、そのツアーのことは知らなかったので大笑い。「ベニーに聞いて知らせるよ」と言って、他の車が来ないか確かめて私の車を曲がらせてから家に入っていきました。

それがBasin Street の辺りです。正確にはBasin St.じゃないんだけど。

ハリケーンが来たとき、避難していなかったジェフェリーは、同じ場所を、6フィートの水の中を、子供を肩に乗せて歩かなくてはいけませんでした。

私が繰り返し、ニューオリンズの状況を書くのは、この街に起こったこと、今も起きている事は、アメリカの、或は現在の世界の仕組みの、悪い面ばかりが集中して出てしまっていると思われるからです。官僚制だかなんだか知らないが、責任逃れの政府や保険会社、日和見主義、明らかに非があるのに、それをすぐ改められないように複雑になっているいろんなシステム、それに地球温暖化。

アメリカでは政治は、上からの(陰からの、と言うべきか)コントロールもありますが、草の根の運動も強いし、市民に意志もあります。ボランティアが制度として、学校にも組み入れられていますし、現在、この街にやってくるコンベンションは、この街の悪い部分も考慮した上で「ニューオリンズに来て金を遣うことで援助をする」と公言しています。目を背けたい部分も多いドキュメンタリー、When the Levees Brokeを教材に使おうという運動もあります。そうやって世の中に積極的に関わって、社会の欠点を是正していこうという動きがアメリカにはいつもあります。

一人一人が声を挙げて問題を指摘すること。これをおろそかにしてはいけないと思います。私が書いているのは、自分の頭をはっきりさせようという、個人的な目的もありますが、こういう問題を、また多くの人に考えて欲しいという気持ちもあります。「ニューオリンズは可哀想なのです、同情して下さい」と私も、他の人も言ったことはありません。ボランティアというのはそういう事ではありませんし、この街の文化は世界に誇るべきもの、世界で共有すべきものだと思っています。

話を戻して、Basin Streetを弾くたびに、こういう思いがふつふつと湧いて、怒りも新たにするのですが、先日、そうやって弾いていたらスタックマンに
「なんか怒ってる?」と聞かれてしまいました。ちょっと反省。

でもそういうふうに聞いてくれたり、表情や声ですぐ私の変化を察知して「どうした?大丈夫?」と心配してくれる友達が増えて
嬉しいです。そういう友達と演奏を続けていくことが私の究極の願いです。

Basin St Bluesはジャズで探せばごろごろ出て来るけど、これはちょっと変わったところでサム・クック。周りの間の手がうるさいんだけど、それでも素晴らしいソウルフルな歌。

ところで、ジャズフェスのバンドのメンバーに変更あり。
ジェフェリーはPホールのツアーで27日に戻って来られないので、チューバはカーク・ジョゼフになります。トロンボーンはドウェイン・ポーリン。乞うご期待ーーーて日本の人で観に来る人いるのか???

2007/03/29

JazzFest Time Schedule/Levees Broke

Levees Broke記事はホームから「Hear Me Talkin' To Ya」をご覧下さい。
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漸く時間も決まったみたい。
とりあえず自分の出演時間は

4/27 11:15~12 PM Economy Hall (自分のバンド)
   4:10~5:15 Economy Hall , Heritage Hall Jazz Band
4/28 11:15~12 PM Economy Hall , John Kidd Simmons
5/4 3:50~4:55 Congo Squuare, DDBB

娘をどうやって学校に迎えに行って連れてくるか、だなーーー
ーーーーーーーーーー
When the Levees Broke 最後まで見ました。4幕の後に、出演者のインタビューがついています。被災時の様子や、その後の保険会社とのやりとりなどーー

なんかね、要約することは難しい。内容的には難しくないが、ぼんやりしてしまって頭がまとまらない。

しかし、書いておきたい事二つ。
損害がひどくて、今や観光客が訪れるLower 9th Wardという地区。貧乏の代表みたいに言われる。確かに、高速道路から離れていて、地域開発から取り残されてる感じで、ハリケーン前からちょっとさびれていたけれど。

しかし、ここの住民は、自分の家を持っていた人たち、それも祖父母や父母から継がれて来た家が多かったということを、皆に知って欲しいーーーだから余計に皆、避難しなかったんじゃないか?自分の大事な先祖代々(まあ、せいぜい2代。3代前は奴隷制の時代)の家をほって、誰が逃げられる?
さらに言えば、この地域は国防軍の居住区のすぐ隣にあり、大きな運河沿いにあるーーー地理的には実は有利な土地だというわけで、企業家が家を直せない人たちから土地を安く買い上げようとしている。

昔からの黒人の互助組織である、social&pleasure club の一つ、Black Men of Laborの人が言った言葉。意訳。
「俺たちは自分たちが何処から来たか、自分たちが何者かを知っているんだーーー自分が誰かわからなくて、人にいろいろ言われた姿を自分だと信じている人も多いけど。西アフリカからやってきた俺たちの祖先のことーーー受け継いで来たもの、それも含めて、自分が誰かってことーーーそれがculture 文化ってもんだ。ニューオリンズにはその文化があるんだ」

New Orleans,Proud to swim home
   ハリケーン後、売られていたスティッカー

先週日曜日、ハリケーン後、アルツハイマーのひどくなった母と脳血栓の発作後、歩けない父の結婚記念日を教会で祝う、という友達のために出かけた私と娘とジェフェリー。(彼の娘も来る筈だったが、支度にぐずぐずしていたので、置いてこられた)
どういうわけか、裏道を通るその友達の車の後ろをついていく。
道の脇には、洪水で屋根だけが残って土台が崩れた家。(Lower9thではない)

ジェフェリーは水の中を、子供を肩に乗せて歩いた。その子たちは水を怖がらないの?と聞くと
「初めはすごく怖がってたんだけど、アリゾナの避難先の家にプールがあってね。無理矢理、抱きかかえて水に入れたんだ。アリゾナを出る頃には怖がらなくなってたね」

1人1人が恐ろしい裏話を持ってしまった。フィルムに出たのはほんの一部分。近所の人が映画に出てるーーー娘の祖父母の家からほんの2、3ブロックの所の人が
「戻ってみたら家がなくてーーーふと見たら、道の向こう側の人んちの庭に移ってた」と言ってる。
「近所の家を取り壊してるから、思わず、『待ってよ、家族がその中で死んでるかもしれないっていうのに!』と言ってしまった」

ハリケーンがニューオリンズを壊したのではない。堤防がきちんとしていないことを知っていながらほっておいた工兵隊、堤防が壊れたのにその事実を州政府に知らせないで、その結果、残っていた人たちが逃げられなかった、その責任ははっきり連邦政府にある。住民が戻ってこられないようにしている、裏のからくりは、ちょっとニュースを見れば誰の目にも明らかに見える。

この日記は二つに分けるべきだったかなーーーしかし私にとっては、ジャズフェスも、壊れた家の修理も一緒なのだ。明暗分けられない、逃げる事はできない現実なのだ。

2007/03/27

ジャズフェス出演

ジャズフェスラインアップが出ました。時間は一昨日電話で知らされました。  4/27 11:15~12PM

http://www.nojazzfest.com/music/2007_nojhf_day_schedules.pdf (これには時間はまだ書いてない)

いいけどねえーーーエコノミーテントってゲートから遠いからさあ、一番初めのステージが客で埋まるのに時間がかかるのよーーま、いいか。

メンバーは Will Smith (tp), Jeffrey Hills (tuba)、Gerald French(dr)は勿論ですが、テナーにStackman(ファッツ・ドミノのテナーだよ)。いとこのDoc Watsonはまだヒューストンなものですから。トロンボーンは今,誰にしようか迷ってるとこ。Lucien BarbarinもRonell Johnsonもツアーとかちあって出来ないもんで。6人の少数精鋭でいきます。

Chosen Few (Tuba Fats のバンド名)をつけてくれって書いておいたんだけど、やってくれるかな。新聞には載ってないが。

他、個人的には Heritage Hall jazz Band with Jewel Brown, Kidd Simmonsにも出ます。 グレッグのジャズハウンズ、ウォルターペイトンはなくなったみたいーーーどうせ、ちゃんと書類を出さなかったとかそんなだろ。
Dozenにも出るかもしれない。頼まれたのは、以前、毎年恒例の仕事を優先して断って以来だ。新譜をステージでやるのが大変なんでピアノを入れてごまかそうという魂胆なのだーーー!カークと練習するか。(奴はアラバマから帰って来る途中、車ごとひっくり返って以来、調子がよくないのだが)

2007/03/11

An Inconvenient Truth(不都合な真実)/再びPathfinder

これを書くのは気が進みません。収拾のつかない内容になりそうだから。しかし何か書かずにはいられない。昨日は私は半日寝込んでしまいました。

前の日記、Last Chanceで、今手を打たなければ、ここ10年程でルイジアナ南部は沈むというnola.comの記事を紹介しました。現在見られるルイジアナの地図は1930年代のもので、南の方の沼地は、フットボール球場の広さの土地が45分に1つの割合で沈んでいます。カトリーナやリタがそれに拍車をかけたことはいうまでもありません。

ドキュメンタリー「不都合な真実」でも地球温暖化による海面上昇が言及されています。グリーンランドの解凍が予想より早く進んでいるのです。あんな大きな塊が何故簡単に解けるか。私の言葉で言うと、解けて流れた(とこう書いたら突然、富士の高嶺に降る雪も~、と頭の中で鳴ったーー)失礼、氷が解けてその水が地盤の下の方に流れ込んでしまって、その結果、上の氷を滑らせることになり、滑った氷は海へボシャンと落っこちるというわけです。そんなわけで、海岸の方だけでなく、内陸(とは言えないか、グリーンランドの場合。周囲だけじゃなくて、内側の部分ということ)部分もえぐられたように解けていっている。加速度がついている。上陸できる氷河が見つからなくて、シロクマが溺れ死んでいる。

そうやって海面上昇が起こるー-20フィート(約6メートル)上がると、ニューオリンズだけじゃない、フロリダの半島の周囲も、ニューヨークのWTCメモリアルサイトも、オランダも沈みます。東京大阪もかなり沈むでしょう。

赤道付近からの暖かい空気は、地球の南北の極に流れていってそこで冷やされてまた戻ってくる、というのが今までの気候の基本だった、これが崩れてしまう。空気の流れが止まってしまう。つまり、海の底に沈まないところにだって、何が起きるかわかりゃしない。経済的政治的困難は言うまでもない。

他にも恐ろしい事が、映画ではたくさん述べられています。アル・ゴアが世界のあちこちで講演している、そのスライドショーを基にこの映画は構成されていますが、ところどころに彼自身の体験ーーー息子が6歳のとき、交通事故で死にかけ「自分の周りに当然存在すると思っていたものがある日突然失われる思い」を味わったこと、ティーンネージャーの頃から喫煙していた姉が肺癌で亡くなり、父はタバコ栽培をやめたこと、そして勿論、大統領選で破れたこと(それも接戦。フロリダできちんと計算されていたら勝っていたかもしれなかったんでしたっけ)ーーが語られています。

この映画では恐ろしい気象状態を紹介するに留まらず、地球温暖化を止めるにはどうしたらいいかが希望を持って語られています。細かい方法はさておき(大体、そんな姑息な手段をたとえ世界の皆が実行したとしても、今から間に合うのか、と私は思わないでもない)、皆の心構えといったものです。

大抵の人はdenial(事実の否定)からdespair(絶望)に一直線でいってしまう。それではだめで、一人一人がポジティブにこの問題に取り組まなくてはいけないーーー私も疑うようなことを言ったけど、でも確かに、皆が努力してそれで温暖化の速度を緩めれば、その間に科学者や政治的、モラル的(宗教的)リーダーたちが何か有効な対策を見つけるかもしれない。それ以外に方法はない。

人間が原始的な技術を使って暮らしていた時代の古いモラルを変えなくてはいけない。新しいテクノロジーを使いこなすための新しい考え方ーーーーたとえば戦争をやめること。これほど気温を上昇させ大気を汚染させるものはないからです。
利潤の追求。金の塊と汚れた地球を計りにかける図を見せてアル・ゴアがユーモラスに語ります。「う~ん、なんて素敵な金ーー自分のものにしたいなあーーーしかしそれと地球を天秤にかけていいでしょうか?だって地球がなくなってしまったらーーね?」

私が時々日記に書いているPathfinder(Gail Sheehy)という本は81年に出版された本ですがその後書きにこう書いてあります。意訳だけど。
「ーーーもし社会が、ヘリコプターで人を救出したり、コンピューターで宇宙船を時間通りに打ち上げたり、車や他の機器を問題なく動かしたり、ということをきちんと出来ないならば、その社会はおかしいのです。経済市場や金融操作がうまくいくことばかり追求している社会はその目標を見失います。更にテクノロジーの道をやみくもに突っ走り戦争の機械を工夫することばかり考えていてはーーーー(中略)今まで続いてきたものが終わってしまうという不幸にまで近づいてしまいます。

政治経済というのは文化の上に乗っかっているもの。そして文化はもっと精神的(スピリチュアル)なものを土台にしている。

古い情報と新しい情報をうまく合体させなくてはならない。進んだテクノロジーをどう使いこなすか。人間でも同じ事。女は人を喜ばすためだけに生きることをやめた結果、今まで矯めてきた怒りを外に向けている。敵意を持っている。しかし今や男も女も戦線から戻って仲良く協力し、より力強くならなければいけない。

産業と国の発展の共生は、未来のために大事なことだが、それを正しく行うには、Pathfinderの精神で、そしてサダト大統領のような、他の文化圏のPathleader の態度も見倣って、自己の利益のみ追求するのをやめること。地球のどこに住んでいる人でも、その願いが個人を超えた次元で受け入れられるということが、はっきり評価されるようになること。」

ーーーーちょっとわかりにくいかな。(私の訳が悪い)
Pathfinderの精神として、何回も書かれていることは先を見通す目を持つこと、リスクを冒すのを時には辞さないこと。革命的な変化を前にして、創造的な気構えで、問題を考え直し解決し、個人の痛みやストレスや囚われから立ち上がること。そうやってLife accidentも乗り越えて行く。
(個人の災難を乗り越えるだけでなく、ひいては他の人も引っ張って行く、それがPathleaderです)

最後の段。
「今世紀(前世紀ってこと)、個人は確かなものを求めて新しい宗教や古い原理主義の信義にすがりつくかもしれない。しかし国としてアメリカがとるべき道は、個人の利益というものを超えたモラルのもとに皆がunite一つになること。Pathleaderが現れるには、その社会は新しい道をとるリスクを冒す覚悟をしなくてはいけない。 Pathleaderは新しい現実と個人的に格闘した後でそれを我々に辛抱強く説明し、我々の古い信念や価値に新しい息吹を吹き込もうとするだろう。そしてこの混乱した社会を今一度、明白な目的の元に帰してくれるだろう。そういうPathleaderを我々が見分けられる事を祈る。」

70年代に既に言われていた海面上昇(ニューオリンズでもちゃんと言われていた、と昨日ウイリアムに聞きました)、80年代に叫ばれていた、個人の利潤の追求をやめてテクノロジーを皆のために使いこなす事、これらは見事に無視されてきているわけですね。

さあ、そろそろ皆目を覚ますだろうか。それとも絶望の余り、飲んだくれるだけだろうか。どっちにしろ、個人では、少しでも地球に悪い事はやめて、かつ、クリエイティブにこの危機を乗り越えて、子供をちゃんと育てなくては。

私一人なら飲んだくれて溺れてもしょうがないけどさ、子供はきちんと育てて、社会のためになるような仕事ができるようにしてやらなくてはーーー前も書いたけど、目前の危機は、今まで人類が経験した事はーーーあるようで実はなかったもの。せいぜいクリエイティブな方法を模索しなくては。

2007/03/10

LAST CHANCE

http://www.nola.com/speced/lastchance/

あと10年でルイジアナ南部は海の底!
An Inconvenient Truth(不都合な真実)で危惧されている、グリーンランドの解凍に加速がつけば、10年ないかもしれない。
「ニューオリンズは堤防で守られているだけの無防備な町になる」とあるけれど、それは多分楽観的というか、かなり手加減した言い方で、ほんとはニューオリンズも沈むんじゃないかと思う。海抜マイナスなんとかなんだから。毎年土地が沈んでいるんだから。そのために道だってガタガタだし、家は「沈まない」ための工事をしなきゃいけないんだから。

今こんなこと言って、どうしてくれるんだ。読者に対策をアンケートしてまわってる場合じゃないだろ、何とかしろ何とか!

それとも何、どうせ沈むんだから工兵隊は堤防をいい加減に作っているんですよってわけ?

これでは今後の人生計画が立たない。将来ホームレスになるっていうんじゃあ。

アル・ゴアの言い草じゃないけど、このブロウはきつい。「何かしています、大丈夫ですよ」と頼れる拠り所がない。そういうことは何も書いていない。

しかしルイジアナの半分、テキサスもかなりの部分がなくなるわけで、そこに住んでいる何十万という人を見捨てるーーーわけはないと思うけどーーーいや、既に見捨てられているのかもしれない。

早くちゃんとした、アホでない、先を考える頭のある人が大統領になってほしい。科学者総動員して事にあたってほしい。リサイクルも再開してほしい。地球温暖化に拍車をかける無意味な戦争はすぐやめてほしいーーーー私たちはゆっくり溺れていってるんですよ。

2007/02/05

JazzFest

帰ってくるや、ものすごい湿気の毎日。雨でもないのに道が、車が濡れている。

ところで、ジャズフェスティバルの仕事が入りました。(自分のバンドという意味)ウイリアムとジェフェリーのトリオに、+3人ぐらいでやろうと思います。CD前半部のサウンドということ。
4/27金曜です。

こちらへ来るつもりの人は、どうぞ計画に組み入れてくださいね。連休前で難しいかなーーー
時間はまだ決まってない。1月過ぎてからスケジュールを組むらしい。

日本ツアー

昨日帰って参りました。今回は仕事だけ、5日で帰って来るという強行軍でした、いやはや。
 
コンサートは予想以上の方が来て下さいました。どうも有難うございました。mikioちゃんご苦労様。何回も日記に書いて下さったしょうちゃんもありがとう。今年もまた運転してくださった大先輩もお疲れさまでした。他にも応援して下さった方、皆まとめて有難う!

バンド自体は、去年よりきつかったです。リーダーの許容範囲が狭いもんで。ドラマーは毎年のように浅草に行っていて、ここは自分の島だ~と思ったからか、或は風邪をひいていたからか、リーダーの要求を無視するし。

しかし我らがエンターテイナー、ルシアンがうまくゴスペルを盛り上げ、皆それに乗っかったので、最後の方はまとまっていきました。ハブの2セット目では、教会のミサのようにspiritを感じたリーダーとルシアンが凄かったです。「このバンドはゴスペルやるしかありませんから、タンバリンを買ってきてください!」と私は渋谷で要求した程です。

悲しかったのは、車の助手席に座っていたとき。「正常に機能している町っていいなあ」としみじみ思っちまいました。これからまたあの瓦礫の山に帰るのか~とため息が出ました。

しかし、ああセインツ!ダラスに勝った翌日、私たちはダラス経由で帰ってきたため、飛行機の中はセインツファンだらけ!大変盛り上がっておりました。

更に今日は自分の仕事で久々にウィルとジェフェリーに会ったので、うん、仕方ないや、瓦礫の山でも、と思いました。

マイミクいねむりや女史がレポートを書いています。自分が主張する音がある、というようなことです。確かにそうだね。ただひとつ、違うのは、50代過ぎても皆、枯れません。アホやったり、60過ぎて子供作ったり、馬鹿みたいな喧嘩したりーーーそこがニューオリンズだなーー。

50代3人のうち二人は、ワセダリサイタルの後、飲み屋で酔っぱらい、一人はうちの娘をだっこして階段を滑り落ちそうになりながらもなんとかホテルに戻りました。しかしその後、ホテルの廊下で騒いでいるので見に行ったら、自動販売機のビールを買い、廊下の向こうの部屋に戻ってきた日本人のおばさん二人にへらへら笑って「ビール飲みますかあ?」と話しかけていました。(おばさんたちは嬉しそうに笑いつつ、お辞儀して自分の部屋へ入って行きました)
それもニューオリンズだなーーー

最後に、8歳のうちの娘は、彼女の日本人のお友達と別れる時、初めはそっけなく「じゃあね」と言ったのですが、泣きそうなAちゃんの顔を見て「また会いに来るからね!またすぐに来るよ!」と階段の上から乗り出し、私は落っこちないように後ろから引っ張りながら「映画みたいやな~」と思っておりましたことを付け加えます。

あ、それからいねむりや女史のマッサージもよかった。私はマッサージをする友達を何人か知っているのだが、皆、日本にいるのだ。ま、この次のお楽しみということで。

2006/11/29

Heritage Hall Jazz Band

http://www.heritagehallband.com/

Heritage_hall_jazz_band これは、ミュージシャンが自発的に作ったバンドとはちょっと違い、エージェントのポールというおっさんが、Gregg Sttaford(今回来日)にバンドを作らせ、さらにルイス・アームストロングのバンドで歌っていたという、ド迫力シンガー、Jewel Brownをゲストという形で添えて売っているバンドです。

Jewelはホンモノ。歌唱力も何もかもすごい。Jewe_brown 

但し、今回出たこのCDは一体、どういうつもりで作ったんだ~、デモ用か、これは、って言いたくなるような内容。彼女の歌っているナンバーは、曲全体は入ってなくて、最後のコーラスだけとかになっているーーライブで、masteringをやっていないので、音量が一定していないーー

これではとても人に勧められないーーとはいえ、ライブなので、そんじょそこらにない臨場感あり。特に、滅多に聞かれない、ニューオリンズの天才ドラマー、Shannon Powellのソロあり。
彼自身のCDですら聞かれない、盛り上がりを見せます。

そういう意味では、これぞニューオリンズ!と言えないこともないだろうーー9月初めにバージニアで録音したもの。

このエージェントのおっさんは、いい人なのだが、写真に私を絶対入れない。このサイトにある写真も、ちょうど私のところで切っているんだなあ、不自然に。

しかし、うちの娘のために私の出発をぎりぎりまで遅らせ、帰りの便は早いやつにしてくれたりしているからーーまあ、悪気はないんだろうーーー典型的な白人のおっさんとも言える。

上のリンクがトップページ。listenというところをクリック。シャナンのソロは、lover come back to me で聴けます。

このCDを欲しい人は、すぐお知らせください。うまくすれば、今回の来日までに受け取って、持っていけるかもしれない。
その後だったら、送料を頂きますが。彼は今、カリフォルニアに住んでいるので、送ってもらうのにも多少時間がかかります。
安値で手に入れたい人は至急ご連絡ください。

2006/11/10

選挙結果(ルイジアナ)

Democrat優位になったのは、日本の新聞にも出ていますね。とにかく、イラクからすぐにも撤退して、無益な殺生、無駄遣いをやめて欲しいですが、今朝のニュース番組(地元)では「ブッシュのやることに全部賛成はしないし、兵士が殺されるのもよしとはしないが、テロリスト対策は続けなくてはいけないのだから」という意見を述べた人二人あり。大統領のマスコミ操縦で、アメリカが正しいと、まだ思っている人たちです。テロリストを利用して自国の利益を図っているのは、他ならぬアメリカですから、まずアメリカの国外政策が、暴力的なものから、もっと進化した人間らしい、きちんとした理性に基づくものに変わらなければ、テロの被害はなくなりません。

というのは、私個人の意見ですからおいといて、ルイジアナの選挙結果で面白いのは、Bobby Jindal でしょうか。名前と写真でわかるようにインド系の人ですが、生まれはバトンルージュという他は、オフィシャルサイトにも大したことは書かれていません。が、ハリケーン前から、精力的な活動をしており、最近もよく、早朝のニュース番組に出て来て、建設的な意見を述べています。

ルイジアナは汚職と、政治家の泥の掛け合いがすごくて、選挙前も「奴はこういう悪い事をしています」と一方が言うと「いや、私は悪くない、奴こそこういうことをしています」ともう一方がテレビに出てくるわで、はっきり言って何が何やらわかりません。

しかし、彼の場合は、私の友人が、家の前の下水だか排水溝だかを、いくら言ってもきちんと直してくれないので、人に勧められてワシントンの彼のオフィスに電話したところ、翌日すぐに直しにきて、さらに後日、オフィスから確認の電話があったという事実がありました。とりあえず、行動はしてくれる人のようです。

まだ若く、つい最近、夜中に奥さんが産気づいて、救急車が間に合わなかったので、自分でとりあげた、という逸話の持ち主。2001年州知事選挙でブランコに破れたのですが(有色人種の若者より、女でも白人の方がいいってこった)、次の選挙に再出馬も考えているとか。ブランコも再選の意志があるようですけれどーー全米最悪知事と言われながらも。

それから、ハリケーン直後、兵士の車で自宅に戻って汚職の証拠を隠したとか、FBIの家宅捜査の際、自宅の冷凍庫から何万ドルだかを押収されたという、William Jeffersonが、3分の1でトップです。(次席候補と後日再選挙あり)このニュースはタイミングが絶妙で、スケープゴートにされたにおいもあり。これまでの実績はよく知りませんがーーーしかし、いい人ならもう少し、この地域が良くなってもいいんじゃないかね、という気もします。

もう一人、テレビで汚職を言われていた人も勝ちましたね。ぎりぎり半数。攻撃していた人は40%、これもどうなんだろう。

ニューオリンズでは、例の家の査定のオフィス削減ですが、これは圧倒的に支持されました。我が家のあたりを長年、査定していた人がテレビに出て来て「これは、実は増税のための陰謀なのです」と言っていましたが、聞き入れられませんでした。年に9万ドル節約することの方が、大切なように思われますからね。

というわけで、詳しくはいつものnola.com.

朝日夕刊に出ていたという、在ニューオリンズ総領事館廃止の噂ですが、まだ決定ではないようです。ここに領事館を置いといて、どのくらい日本のためになっているか、廃止すればどのくらい節約できるか、ということなんでしょうね、これも。所詮世の中、すべては金よ、ということだなーーーそれでいいのか?

2006/11/02

病院と美容院

今朝はまず、タイヤのパンクを直しに行きました。可愛い男の子が「釘がささってるよ」とすぐ修理してくれました。$25。

うちの夫はHouse of Bluesの後、またツアーバスに乗る予定でしたが、先週末から熱があって、なかなかひかないようなので、病院に連れて行きました。Musician's Clinicがちょうど開いていて、助かった。Charity Hospitalはまだ閉まってるし、救急病院はめちゃくちゃ高い。私は以前、気管支炎で40度の熱が下がらなくて、助けてくれる友人は日曜しか時間がなかったんで、仕方なくEmergencyに行きましたが、熱冷ましを貰って、抗生剤を処方してもらっただけで、$700とられた。

今回は$25ですみましたが、念のため血液検査を、ということで、道の向こうのLabに行きましたら、1時間くらいも待たされて、その間に駐車のチケット(時間切れ)貰っちまったぜーー$20

「なんでこんなに血をとるだけで時間かかるんだ、チャリティーホスピタルは5分でやってたぞ」と怒ると「人手不足だからだろ」ああ、そうか。

私が昔から行ってたお医者さんは殆ど帰ってきているので助かります。新しく医者を探さなきゃならないのは面倒だからね。まだ開けていない病院も沢山あります。

病院ならぬ美容院だけど、私がずっと行っていた、ヘアドレッサーは、6月にカジノのレストランで見かけた時立ち話して、7月に娘と行ったんだけど、その2週間前に心臓発作で亡くなってましたーー新しい人を探さないといけないんだが、ちょうど、日本から来たという人がいて、漸くこのうっとうしい髪型を直してもらいました。彼女の細かい、繊細な指先は心地よい眠気を誘ったーーこういう快楽を忘れていたわーー日本の美容院に最後に行ったのはいつだっただろうか。

彼女は、当初、家族の頭だけ刈るつもりでいたんだけど、口コミでいろんな日本人が来て、えらく忙しいらしい.「美容師さんがいないんでしょうか?」「帰ってきてないんでしょう」

そう、今この町では、仕事がない人はまるでなく、ある人はとんでもなく忙しいーー今朝はクオーターで、午前中なのに座り込んでるホームレスを何人か見た。

それはともかく、遅れて学校に迎えに行くと、娘が「もうママったら、あたしに怒ってて迎えに来てくれないのかと思ったよ」そんなことはしません。でも、自分で歩いて通学してくれたら、どんなに楽だろう。Day Care 1時間 $1.50

帰り、Pホールより電話あり。今週末を、と言うんだが、今月一杯、撮影に提供するから閉まるということだったんで、慌てて他の仕事をかき集めて入れました、と言ったら「あの話は急にキャンセルになりまして」
そうやって、金や目先の利益だけで動いたり、人を入れ替えたりやってると、今にバチがあたるぞ~

明日の朝はどっかの学校でのコンサート、水曜もスタックマンの短い仕事、木曜は朝また、Amiteに行かねばならない。病気をうつして欲しくないなあーーービタミンCを飲むか。

2006/10/24

週末の仕事、Trombone Shorty, 子供のストレス

この週末は、木、土曜はプリザベーションホールの「テナー・サミット」、金曜はマーク・ブロウドの、なんとバーボンストリートでの仕事でした。来月Pホールは映画の撮影を行うとかで、1ヶ月丸々閉まる予定らしい。そのせいか知らないが、木曜にやっていた「メイナード&マーク・チャターズ」(親子、父がトロンボーン、息子がラッパ)のメイナード、マークも加わって、7人編成でしたが、2セットとも満員でチップはまあまあ。
 

太鼓のケリー・ブラウンとは一緒になると、トラッドというより、すぐファンクをやってしまうのだが、それが楽しい。休憩中、ケリーが、「Gはハイハットで4つ叩くと『ビバップをやめろ』とか言うんだぜ、ベースドラムも全部4つ叩かないと吹けないって言うんだ。そんなこと一晩中出来るかって言うんだ」
 誰かが「昔テディーライリーや、シークが居た頃はGはそんな事言ってなかったよなあ」
「セイディ(p)が、Don't listen to the boy! If you do what he says, it will take the groove って言ったのさ」
 セイディは、ビリー・ピアスの妹で晩年のシークの奥さん。
90幾つで亡くなりました。Gは80年代後半、Decateur St.で5人のバンドを持っていて、ピアノはセイディか私だった、その頃のことを言っているのだ。あー、ケリーとも思えば長いつきあいだ。シャナンやフランク・オックスレイも叩いていましたけど。私には、あれが地元バンドに加わった一番最初の経験でした。

 マークの仕事はなんと6人のトラッドバンドで、Bourbon Orleans Hotelのバー。向かいのBig Alと張り合いたくはないが、バーボンストリートにしちゃ、破格の値段だ。いつまで続くかな。トム・フィッシャー、フレディ・ロンゾ、フランク・オックスレイ、マーク・ブルックス。
 

今日は娘を友達の家に迎えに行った帰り、St. Augustin Churchの裏のトロンボーン・ショーティーのコンサートに寄りました。パーカッションが何人も居て、ジェームスもいて、面白かった。これは隔週日曜、ドラムを中心に組まれるコンサートで、パーカッションも沢山、客さえ勝手にコンガを持って来て叩いたりするもの。本当は今日はハーリン・ライリーの予定だったらしい。娘はいつもは恥ずかしがるのだが、今日は楽しそうにちょっとだけ踊ってました。ジェームスが娘を見て「大きくなったなあ!」と驚いていた。

さて、これだけならめでたしめでたしの平和な週末だが、夜中、娘が突然シクシクと泣き出し「ママ、帰りたいよう、おうちに帰ろう、おねがい」と言いました。「心配しないで、大丈夫だよ」と言ったら「はい」と答えてすぐ眠りましたが。
 学校でも、子供のカウンセリングや、子供のストレスにどう対処するかという話し合いがあったりします。嵐を極端に怖がる子、成績が落ちている子など、現れ方は様々。
 うちの子はそういうことはないが、ハリケーン関係のニュースは見たがらない、写真なんかも見るのを拒否します。今日、友達の家にはその子の祖父母が遊びに来ていて、「お宅はどうです」という問いに、ロジャーが「家自体は前よりよくなってますが、近所にもう少し人が戻ってくるまで帰れません」と答えていました。娘は小声で私に「こんなこと話してるんなら、もう1回奥へ行って遊んで来るよ(ショットガン式の家で、手前のリビングルームに座ってた。子供は奥で遊んでた)」と言ったのだが、そのやりとりが夢に出てきたのだろうか。 

2006/10/11

Wuthering Heights

この邦題は「嵐が丘」です。ある晩、料理のサイトをチェックしていましたら、その主は「ケイト・ブッシュのフィルムを見た,昔は嫌いだったがなかなかよろしい」と書いていました。私も嫌いだったが,懐かしい、中学2年のとき、級友と中野サンプラザで見たことがある、よし、見てみようとクリックしたら、かなり凄かったです。 

歌詞はこちらを参照。 

つまり彼女は死んだ女主人公の幽霊を演じているのでした。曲のリズムは2/2でとっており、サビに入るところのシンコペーションは素晴らしい。 
で、ついでに本の方も読み始めました。アメリカの学校では高校、またはカレッジで読むらしいです。思った程は難しくない、というより、読み流していますから。
さっき読んだ所では、ヒースクリフが本性を現し始め、もうあんな奴とつきあうな、と夫に言われて逆上して3日間飲まず食わずのキャサリンが、幼なじみのメイドのネリーに心境を話すのだがーーいかが、現代医学なら相当なヒステリーでしょう、これが嵩じて病気になって死ぬというのは幾ら何でもあんまり、百何年前の女性はさほどにか弱かったってかーー?ってことになってちょいと馬鹿馬鹿しいんだけど、そうではなかった。
彼女は,自分ちより金持ちで落ち着いた家の、いい坊ちゃんに嫁いだわけですが、それ以来3年、おとなしく過ごしていたけど、それは本当の自分じゃなかったんだ、と気がついたんですね。荒野を駆け回ってヒースクリフと遊んでいた、あれが本当の自分であった、と。その悲嘆。こう書けば,現代でも通じますね。 
 
で、ふと思うに、去年の今頃、坂ばかりの町で、仕事もしないで暮らしていたわたくしの生活は、あれは何だったのでしょう。
裏の教会の厚意で、平日は毎日練習に行かせて貰ってはいたけれど。9月末に自宅を見てから、大工さんに連絡がつく前の1週間くらいは途方に暮れていましたが。 
その後洪水保険の担当者と大工さんに、自宅で会って、まあなんとかなるかなーと思ったんだが。
その晩、Donna's のジャムセッションがあったけど、それより、ドナがどうしようかねーとため息ついてた方が印象深いかも。
それからは持ち出した僅かな絵や本を,山の上の家で干したり。娘は元気だったが、松濤館空手の教室を見に行ったら「友達がいないから嫌だよ」とだだをこねたり。 
でも12月にコンサートがあったからねえ、とりあえず何とかもっていましたかね。また皆に会えるさ、と思って。まったく、関係者の皆様には感謝しきれません。 
 
昔から、トラブルにあった時は、いっそのこと人のトラブルにも顔を突っ込んで、その勢いでなんとかしてしまう、という私は、後輩記者から送られてきたウイリアムの痩せた写真を見て,驚いて電話して慰めたり、そんなことで日々は過ぎていきました。私はそんなに取り乱しはしなかったが、しかし、あれは私であったかどうか。娘がkeep worries out of mindと書いたお手紙をくれましたが。 
 
今も実は大して変わらないと言えるかもしれません。でも仕方ないや。 
 
人間は弱いのだ、昔も今も。

昨日今住んでいるところの、隣のブロックで銃撃事件あり。やれやれ。

2006/10/01

今日の仕事

ここ2週間ばかり、コンピューターの前に座る時間が長くて頭も痛いです。

今日の仕事は久々にMark Brooksだった。マークはやっぱりエレキベースが一番。このパーティーは4年くらい前から毎年あって、女主人はいつもコール・ポーターをリクエストするもんだから、先週「なんか楽譜持ってきてよ。あたしの楽譜は全部水に浸かってないよ」とマークに言っといたのに、変なトラディショナルジャズのフェイクブックを持ってきやがってーーー。

「ちょっと何さ、これは。どこにコール・ポーターが載ってんのさ!」「フェイクブックって言うからフェイクブック持ってきたんだぜ、文句あっか」これですからねえ、自分の仕事だろ。タイトルで言われりゃわかるけど、コール・ポーターって言われたって,とっさに思いつかなくて毎年困るから頼んだのにさ。

 ドラムのハーマン・ジャクソンが聞いていて横でケラケラ笑います。

 最近のピアノトリオの仕事は碌でもないのが多かったけど,今日は良かった。ハーマン・ジャクソンは元からのバトンルージュの住人ですが「やれやれ、運転が大変だ」「でも、バトンルージュに住んでてよかったと思ってるでしょう」「You're right!」

 帰ってnola.comを見たら、住民が少ない地域(大部分のニューオリンズというべきか)でシロアリ、ねずみ、ラクーン、へび、わにの数が増えていて、ねずみなどもとんでもない大きさになっているとか。
 ああ、いつになったら帰れるやら、さっぱりわからないねえ。

頼むから皆早く戻ってきて、家を片付けておくれよ。
 ここに書いても詮ないことだ。明日はまたカジノのブランチだ、寝なくは。

2006/09/27

DOZEN新譜コメント:What's going on? Life is going on.

Dozen_logo2_08 466 Dirty Dozen Brass Bandの新しいCDの日本版が10月14日に発売されます。ラップなんか聞きたくないよ、という人も、このCDは是非買って、新しい生命が吹き込まれたマービン・ゲイの歌詞を味わってみてください。
そのために、歌詞はサオリ・キャパスさんが、あらゆるメディア資料を照らし合わせつつ、日本人にもよくわかるように訳しておられます。私は冒頭にコメントを書きました。ミュージックマガジンの斉木氏によるライナーノーツも分かり易いです。
これがそのコメント文。*************************************************************************************
Wani12_09 ーーーーーーー昔のメッセージソングを今聴くと,意外にもその内容はちっとも古く感じられないものである。ボブ・マーリー、ジミー・クリフ、マーヴィン・ゲイーー。それは歌詞の内容が普遍的だからか、それとも彼らの直面した問題が普遍的、裏返せば世界はちっとも良くなってはいないということなのだろうか。
アメリカ南部のメキシコ湾沿いをハリケーン・カトリーナが襲ってから1年経つ。しかしニュー・オリンズの復興は遅々として進まない.洪水にあった地域は電話,郵便がつながっていない.水が入らなかった地域でさえ、ゴミ収集は週に1度来るか来ないかである。ビジネスや学校は徐々に開きつつあるが、ハリケーン前とは比べ物にならない。というのも、住民の半数以上が未だに避難先で仮住まいだからである。にもかかわらず、経済援助は打ち切られようとしている。
連邦政府はルイジアナを、ニュー・オリンズを見捨てるつもりか。テレビではハリケーン直後から「貧乏な黒人が逃げ遅れて,店から商品を盗んでいる」という報道がなされた。どうしようもない人たちだ,自業自得と言わんばかりである。しかしこれは事実ではない。避難するということ自体が困難だから、自分の家が嵐に耐え得ると判断した人は残ったのである。ライフラインが切れたのに,食料も水も支給されないからこそ、人々は開いている店に押し掛けたのである.同時期にアメリカ各地から集まって来たギャングが狼藉を働いたのとは違うのである。
Tori2_18 What's going on ? コンベンションセンターに辿り着いた人たちに水と食料が支給されるのに何日かかったか。それまでに何人が無益な死を蒙ったか。
What's going on? 壊れた堤防や水をかい出すポンプが1年以上たった今なお、完全に直っていない。担当者はマスコミの糾弾に対して「カテゴリー3のハリケーンに耐えられる」と言っておきながら、実際にハリケーンがこちらに向かってくると「とても持ちこたえられまい」などと言い逃れをする。
What's going on? 全世界からこの町への寄付が集められていると聞く。それはどこにどう使われているのか.家の修理のために政府から援助される金はいつ届くのか。
ニュー・オリンズはアメリカの音楽の故郷であると言っても過言ではない。ジャズ、R&B、ロックンロール、すべてこの町で生まれて発展して行った物である.この町では未だに人々が毎週のパレードを楽しみ、若いミュージシャンが育って行く.その文化を世界の人々に紹介し,楽しんでもらうこと、これがニュー・オリンズのミュージシャンの使命である。そして、それが今程大事な時はない。この町の復興が市民一人一人似かかっているように,一人一人のミュージシャンの役割は大きい。
更に、子供たちにこの文化を伝えること。「あんたのおばあさんの時代には、ジャズフューネラルというものがあった」などという言い方はしたくない。そのためには,ミュージシャンだけでなく、聴衆が,踊る人たちが帰ってこなくてはならない。
Kusa2_16 83歳の老人が、たった一人で自分の家を直している。政府の援助などあてにはしていない。電気も水も十分ではない。「自分が育った環境を振り返れば、こんな苦労はなんでもない。ここが自分と妻の家だ。ハリケーンなんかで諦めない。またハリケーンが来たらーーー荷物をまとめて逃げるだけさ」
いつの世でも,政府は、庶民の生活を犠牲にしてきたのかもしれない。戦争,災害に遭った人々。しかし,一人一人の生活は続くのである。そこに文化が生まれる。それを子供に伝えて行く。Life is going on.
マーヴィン・ゲイの普遍的な言葉を借りて,今、ニュー・オリンズから、ダーティー・ダズン・ブラスバンドが送るメッセージである。

2006/08/28

Life is going on

http://www.nola.com/

左の一番大きい記事、New Orlenians rebuild their own とい
う見出しのすぐ下のスライドショーが見られます。
Lower 9th wardの方は、右側に橋が見えますね。その
前、ずっと空き地になっていますが、すべて家が建
ち並んでいたところです。

東京新聞池尾記者のお供で、先週、Lakeview(17th street 
canal)とGentily(London canal)を見てまわりました。
17thでは、壊れた箇所の前,道のそちら側は全部
さら地にしてありました。その周りもつぶしていく
のでしょうが、これはArmy corpsが買い上げているか
らです。しかしまだお金は貰っていないし,家の
ローンは払い続けているという状態だそうです。
さらにその近所は、堤防沿いといえども、気丈に直
している家もありました。トレーラーもありまし
た。といっても、まとまってあるのではなく、点々
として実に寂しい状態です。手が付けられていない
家もあり、庭の草や木が伸び放題です。1年刈って
いないのですからね。

London canalでは、壊れた所は同じようにして直してい
ますが、その周りは手つかずといってもいいでしょ
う。ここはまだ、堤防の周囲どのくらいまで、さら
地にするか決まっていないのでしょう、家を直して
もつぶされるんじゃ意味がないですから、本当に
ほってあります。元々大きな木が茂って暗い通りな
のですが(しかし家はみな大きい。中〜上の所得
層)さらに陰惨としています。大きな通りに出る
と、トレーラーがポツンポツンとある程度です。

これに比べれば我が家の近所はましですが、しかし
まだ、住むにはどうでしょうか、という感じです。
特に現在、メキシコ湾にハリケーンが近づいていま
すからね。予想は少し東にずれたようですが、楽観
はできません。Army corpsもはっきりと「大きなス
トームには持ちこたえられまい」と言っています。
何故、持ちこたえられまいものを作る????

先週、この二つの水路にかかる水門を閉めるテスト
が行われましたが、17thでは閉めるのに2時間、
Londonでは35分かかった上に、水をかい出すポンプ
がおかしな振動を始めて、使い物になりそうもな
い。今日も、娘が友達のところに行くんだー早く連
れてけー遊べなくなるーと騒ぎましたので、大雨の
中を車を走らせましたが、フレンチクオーターから
Industrial canalに伸びる川沿いの道は,水があふれて
いて、排水機構がよく働いていないこと、一目瞭然
です。

池尾記者は10月に来た時に,私のミュージシャン
の友達何人かにインタビューしています。今回同じ
人たちにまた話を聞いていました。ウイリアムは
「ニューオリンズの家賃は今やハリケーン前の3倍
近い」ことを指摘し、FEMAの家賃援助(避難先のア
パートの家賃を出していた)は、被災後1年でそろ
そろ打ち切られるのに、ニューオリンズには戻って
も住む所がなくてどうするつもりか、と言いまし
た。避難先で、夫婦ともどもいい仕事にありつけ
た、などと言う人は稀です。アメリカの景気は、避
難民すべてが新しく生活の基盤をよそで整えられる
程、よくありません。避難民が数少ないところはま
だしも、ヒューストンのように大量に流れていって
いるところでは、いろんな問題が起こっています。
なんとか週2、3回のギグにありついたミュージ
シャンもいますが、それで暮らしていけるわけでは
ありません。ヒューストンからニューオリンズまで
7、8時間運転して、週末働いてまた戻るミュージ
シャンもいますが(ジェフェリーもそう)ガソリン
代は高いし、割が合うとは思えません。

うちの大工さん(といっても、下請けをいっぱい
使って、現在25軒くらいを平行して直している)
の話では、家の修理が遅れるのには、建築材料が高
値な上に不足していることも原因だそうです。同じ
仕事をするのに、2、3倍の費用がかかり(州の援
助金をまるまる15万ドル貰ったっておっつかない
よ)、ひどい時は3ヶ月も材料を待つそうです。
メキシコ系労働者を主に使っていますが、3倍の家
賃のアパートに、普通より多い人数を詰め込んで
やっているそうです。ただ、よそから来る人という
のは、どうしても心情的に、「こんな家どうでもい
い」と思いがちですから、きちんとした仕事をして
もらうのに大変だそうです。ウイリアムの近所で
は、電気もついていない家に、何人も住んでいて,
仕事から帰ってくると、外で煮炊きをし、ろうそく
の灯りで暮らしているのがいるそうです。

池尾記者の記事は29日に出ます(インターネット
で見られる筈)。今日は読売新聞ニューヨーク支局
の方にお話をしました。日本でも実情がきちんと伝
わるよう,願いたいものですね。中には下調べをし
てきていないメディアの人もいて、堤防のどこが壊
れたのかも知らず、とにかく9th wardという所へ行っ
て荒れた風景を撮ればいいと思っているようだった
のには驚きました。9th wardもひどいのですが、問題
はそこだけではありません。実際、9th wardだけが洪
水になった60年代のハリケーン・ベッツィの時
は、ニューオリンズの残りの地域が協力して、復興
できているのですからね。今回は水量が多かった上
に、9月のハリケーン・リタでまた浸水して、復興
に遅れをとった(12月まで封鎖されていた。遺体
の撤去作業が終わらなかったため)ことがありま
す。Lakeviewも同じくらいの浸水でしたが、あの辺は
レンガ造りの家が多い。9th wardは南部風の木の家が
多いーーーまるで、3匹の子豚ですね。

さて、とりあえずの問題はあと5日程で来るという
新しいハリケーンです。うちの夫は戻っています
が、カトリーナ1周年記念行事のギグなどで暇がな
い。私も月曜にはミシシッピのカジノまで行かなく
てはなりません。こんなの、以前ならとらなかった
仕事ですが、ヒューストンから来る人たちのことを
考えたら文句は言っていられませんからね。片道1
時間半の運転が何だ!

そんなわけで、火曜日にはSUVを買いに行き、その夜
には避難するかも、という状態です。娘はニュース
を聞いて「また物がなくなるの嫌だ!」と言いまし
た。彼女の友達も同じ事を言ったそうで「こんなに
小さいのにわかっているのよね」とそのおかあさん
は驚いていました。「またか、と思うわ。でも Life 
is going on」「It gotta be.」




2006/08/09

Satchmo Festival ’06

久しぶりに更新します。なんだか知らないけどこの
1ヶ月、週に5、6回も仕事が入り、そのうちのひ
とつは1時間くらい運転して出かけて行く仕事だっ
たりして、疲れていました。新しいベビーシッター
も漸く一人見つけました。ジョージ・フレンチのお
かげーーその他の方々もあちこち声をかけて下さっ
たりして、どうもありがとうございました。

さて、先週末は、こちらのサッチモ祭がありまし
た。去年もこのイベントのことは書きました
がーーーあの頃は、こんなことになるとは思わな
かったねえ,全く!

述懐はさておき、今年は例年の会場ミント(ジャズ
ミュージアムのある所)が使えなくて(外から見た
様子ではなんともなさそうだがーー屋根が壊れて、
羽蟻の害もひどいらしい)、フレンチマーケットに
テントが二つ、更にもう少し先へ行った、National Park 
Serviceのオフィスとそのすぐ外に会場が二つ、設け
られました。でもこれはよかったですよ。ミントで
やるより、涼しかった。お客さんも適度に分散して。

私はいつもの、ドリーンのバンドが2回ありまし
た。うちの娘とドリーンの3歳の娘は一緒に座って
いましたが、他にも子供が沢山いました。こういう
ところがいいですね、ニューオリンズは。

外山さんのバンドも例年通り,出ていらっしゃいま
した。今年は外山さんは、楽器だけでなく、お金
も,ミュージシャンの家を片付けたり直したりする
ボランティアをやっている団体に寄付なさったそう
です。

http://www.arabiwreckingkrewe.com

8/28までに、何も手をつけられていない家は没
収される、と言われていますから、皆慌ててなんと
かしようとして、この団体、アラビ・レッキング・
クルーはすごく忙しいようです。サイトを見てもら
えればわかるように、ミュージシャン自身が、お互
いに助け合ってやっていくうちに、その輪が大きく
なったという感じで、リロイ・ジョーンズ、マイケ
ル・ホワイトなども名を連ねています。中心人物は
トロンボーンのクレイグ・クレインかな。寄付も
募っていますから、いかが。

外山サンのツアーや、某テレビ局の取材などをコー
ディネイトなさったのは、このページに以前コメン
トを下さり、東海林さんのコラムでも紹介された美貴
ローボックさん。
一度プリザベーションホールにお友達を連れて来て
下さってお会いしたのですが、今回は週末明けにわ
ざわざお時間を取ってくださいました。
こういう、スケールの大きな、バイタリティのある
女の人と知合いになるのは幸せなことです。勇気づ
けられ、励まされもします。
まだ、ニューオリンズで住むところがなくて、お仕
事の時はわざわざシカゴからやってきて、お子さん
を預けてやっていらっしゃるので、その大変さは想
像に難くありませんが、頑張って頂きたいですね。
ニューオリンズの実情を多くの方に知ってもらうた
めにも。
彼女のサイトはこちら

http://www.mikazukiconnection.com

ニューオリンズではそろそろ学校が始まります。ハ
リケーン1周年の記念行事も予定されています。し
かし、肝腎なのは、今後の状況。堤防が直って準備
万端というニュースは聞きません。時折、言い訳の
ように「去年よりはまし」「ハリケーン防備は今ま
でで最強」などというArmy Corpのふざけたコメントが
出て来ますが、実際のところは如何に。ーーーとり
あえずはハリケーンがメキシコ湾まで入ってきてい
ないのですがーー私は予定に反して、まだ家の修理
が終わらず、というより、郵便や電話がまだ通じて
いない上、犯罪が増えていて(ドラッグがらみで被
害者加害者共にティーンネージャーという事件が多
い)どうもすぐには帰れないというのが実情です。
そんなわけで、避難用のSUVも買っていない。まだま
だ厳しい状況です。

2006/07/15

ニューオリンズと関係ないが・・・

最近の東海林さんのコラムは、ニューオリンズと関
係ない内容も多い。私の方は、題名も内容も指定さ
れてはいるのだがーーたまに脱線したって、りんさ
ん(東海林のニックネーム)は文句を言うまい。

忌野清志郎、喉頭ガンで入院。朝日のサイトで見ま
した。あれまあ、と感慨無量。

私は高校2年までは、英語の歌は嫌いで、その理由
は単純に英語が嫌だからであった。中学時代、友人
の影響により、ストーンズを聞いていたが、ビート
ルズの方は好きじゃなかった。

その頃、日本のマスコミではニューミュージックと
いうのがもてはやされ(今、こんな言葉はあるのだ
ろうか)、それは以前はフォークと言われた人たち
が、エレキギターを使い始めたからなのだろうが、
そういう人たちの歌を聴いては、涙する高校生でし
た。深夜ラジオとかね。

その人たちの中には、ストーンズのほか、オーティ
ス・レディングや、サム・クックなどが好きだとイ
ンタビューで言っている人たちがおり、その代表が
清志郎。興味を持った私は、あちこちのレコード屋
でそういうのを買い求めるのだが、それらは、大
抵、店の隅に埃をかぶって置かれているのだった。

中身を聞くと、古いレコードの、埃っぽい音から出
て来る音は、得体が知れないのだが、何か、懐かし
いサウンドで(ストーンズだって、彼らの音をコ
ピーしてたんだから当然だが)ピアノの音もよくわ
からないが、かっこいい、そしてそのかっこよさ
は、新しい、きれいなレコードとは段違いのかっこ
よさなのだった。

高校時代の友達は、私の趣味を「渋いーーー!」と
半ばバカにしたように笑っていたのだが、その中に
はプロフェッサー・ロングヘアーもありましたね。
それが私とニューオリンズの出会いかしらね。無意
識のうちの出会い。

ニューオリンズに来てから10年位して、所謂ト
ラッドだけでなく、他のミュージシャンのように幅
広い音楽をやらなくては、と目指して入ったバン
ド、今カジノでやっているボスですが、彼がいろい
ろ歌うので、ある時ふと、「オーティスの The Dock of 
the Bayはどう?」と聞くと「マリはそういうのも弾
くのか、よしきた!」と彼は歌い始めました。高校
のときは聴いていただけの歌を、こうして演奏する
ようになるとはーーー嬉しかった。

その後暫くしてからですかね、私が「私が懐かしい
と思うピアノの音は、ゴスペルやブルースのピアノ
である」としっかり意識して弾き始めたのは。きっ
かけは、レイ・チャールズのうんと初期の、ジャズ
の曲(Ain't  Misbehavin' ,Undecidedなど)をやっているCD
でしたが。それまでは、かっこいいフレーズを聴い
ても、それがなぜかっこいいのかわからなくて、一
つ一つ覚えるだけでした。ーーーと、何気なく言っ
ているが、演奏する人にとっては、ここが大事です
よ。ただかっこいいだけでなく、どうしてかっこい
いのか、そういうフレーズの後ろにあるものが理解
できないと、自分独自のプレイはできませんから。

ニューオリンズに来る時、日本で持っていたレコー
ドの半分は処理しましたが、残りはなんとか持って
きました。その中でも、アメリカで聴いて違和感が
ないのは、変に英語を歌詞に混ぜていないもの。
しっかり自分の言葉で歌っているもの。吉田拓郎、
憂歌団とか、RCサクセションもよかった。リズムな
んか、全然、劣らない。まあ、めったに聴こうとは
思わなかったけれども。音楽と名のつくものはも
う、どうしても、仕事というか、緊張感を強いられ
るものになってしまって。ぼんやり聴いていても、
突然、「ん?今のコードは何だ?」などと思ってし
まうから。余程酔っぱらってでもいないと。趣味が
仕事になるというのは、そういうところ、辛いです。

てなわけで、半年に1回ぐらい、レコード(LP)を
引っぱり出して聴いたりしていましたが、子供が生
まれてからは、家の中でも、そんなに酔っぱらって
明日に差し支えるわけにいきませんから、聴いた事
が数回あったかどうか。清志郎が絵本を出したとき
は、娘のために取り寄せましたが。

しかし、彼らの音楽、歌詞が、確かに今日のわたく
しの音楽の、ある部分は形づくっているのですか
ら。それにつけても、久しぶりに何か聴いてみたい
と思っても、ハリケーンで全部なくなってしまった
のは残念です。あー話がそこへ行ってしまった。

とにかく、清志郎の全快を祈ります。

2006/07/04

荒廃する街や人々に今こそミュージシャン は良い音楽を!

被害は甘いものではない。皆、洪水に襲われやしな
いかとびくびく暮らし(それは、軍の技術者がきち
んと堤防とポンプを直し、失われた沼地に植林を
し、土地が沈むのを抑える方法を講じればましにな
る筈)、仕事は一部の人にはあり過ぎ、残りには全
く無く、学校は開いていなく、郵便局も少ししか開
いていないので、請求書などは期日後に届き、水は
あちこちのパイプが壊れているため出ない所もあ
り、電話はいつ通じるかわからない。子供の学力は
低下しているが教師は足りず、警察消防士も足りな
いからこそ、国防軍を9月まで駐屯させているので
あり、しかしニューオリンズ市の外には国防軍がい
ないので、犯人にちょっと車で逃げられればおしま
い。家に帰ろうにも上の理由で帰れない上、盗みが
横行しているだけでなく、手を入れていない家の芝
生は伸び放題のため、白蟻、ネズミや、ウエストナ
イルウイルスを媒介する蚊が増えている。これらの
状況がいつよくなるのか、自分が生きているうちに
よくなるのか、全く見通しがない。

堤防完成の約束は簡単に破られ、放っておかれたポ
ンプは、排水量が1/10しかないため、ハリケー
ンまでいかない、トロピカルストームクラスの雨が
来たら、もう洪水になるであろうという予測がなさ
れました。おまけに保険は2倍3倍。洪水に遭わな
かった人も。

こんな中で、何らかの逃避がなくてはね。薬や酒に
溺れる人、鬱病のため治療を受けたいが受けられな
い人が増えて当然でしょう。私が「今こそミュージ
シャンはいい音楽を」と言うのは、かっこうつけて
いるわけではなく、そういう大きな使命感でも持た
ないことには、自分を奮い立たせてここで暮らして
いく気力がないからです。

これを載せないで、いいことばっかり書いたってだ
めですよ。この前、日本人旅行者が携帯で大声で話
していました「ホテルもレストランも開いてるよ、
全然問題ない」
だからこそ、私は、本当になんとかしたいと思う人
は来て欲しいし、ボランティアだってして欲しい。
古くからある町が、このように荒廃していることを
知らしめないで、きれいごとばっかり言ってたって
だめです。ーーーこれもそのまま載せてください。

チャリティコンサートの過程、結果をまとめてくだ
さいとお願いするのも、酔狂で言っているのではな
い。もっともっと、多くの人ーーニューオリンズ
ジャズファン、それも一部のトラッドファンだけ
じゃだめですーーに知ってもらわないといけないか
らです。なんとか道をつけたいんだ。

ほら、今だって、軍のヘリコプターが上空を飛んで
いる音がする。

*写真:昨年のカトリーナ災害

2006/07/02

ニューオリンズ復興の為には・・・

日本の若者でニューオリンズのために何かしようと
思っている人には、寄付集めの他に,幾つか方法が
あります。

ひとつは、ニューオリンズに来る事です。今はハリ
ケーンシーズンなので、怖いかもしれないですが、
11月末のシーズンが終わった後は,是非またこの
地を訪れてください。
この目で災害の跡(まだ、幾らでも見られます)を
見ることも大事ですが,何よりも、やはりこの町は
観光でもっているわけですから、人が来ないとどう
にもなりません。
泊まったり、食べたり、見てまわったりす分には支
障ありません。

二つ目は、前にも言いましたが、ニューオリンズの
音楽を演奏する人は心をこめていい演奏をし、人に
聴かせることですねーー勿論。

三つ目、全米,或はよその国からも、ボランティア
で来て、まだ手がつけられていない家を片付けた
り、新しく家を建てたりしています。ミュージシャ
ンの家を専門にやっている人たちもいます。元気な
若者は、時にはそういうものに参加するのもいいか
と思います。日本から来ているという人は,今のと
ころ、お目にかかったことはありません。繰り返し
ますが、全米,全世界からそういう人たちが来てい
ます。

先週から,全米図書館員ーーと訳していいのか
なーーのコンベンションが開かれて,18000人
余りが来ています。ニューオリンズで行うのが恒例
であったからというだけでなく、今できる事をした
い、というので、この人たちは、本を寄付したり、
壊れた図書館を直す手伝いをしたりしています。
ファーストレディも来て、その会合でスピーチをし
ました。
また、すっかり有名になった 9th ward に診療所み
たいのを開いた人たちもいます。医療機関も、開い
ているものは限られているからです。

そのように、いろいろクリエイティブに何か考えて
みるといいと思います。生活,文化、あらゆる面に
おいて、援助が必要です。

ところで、うちの電話は、案の定、つながっていま
せん。昨日はフレンチクオーターのすぐ外の地域で
停電があり、5時間近く、直りませんでした。

それから、ハリケーン前に、高速道路下などに車を
置いていった人が沢山いたのですが、ついこの間、
漸く、その撤去作業が始まりました。まだ、そんな
段階です。

2006/06/18

今の私に必要な言葉

Janet Jackson 40歳の記事がJet に載っていました。昨日
テレビでもちらっと見たが、きれいだなあ。40で
もこれだけ維持できる。
私ももうちょっと何とかしよう。最近、町を歩いて
いても,見られたり声をかけられたりしなくなっ
た、いかんいかん。
その分、たまに会う奴が「いやーちっとも変わらな
いね!」と言ってくれると、喜んで吹聴するので
あった。

元気な奴は今でも元気だし、中毒患者は中毒のま
ま、逮捕されたり死んだりーーー長年の友人MCは、
罠にはまってとうとう新聞にまで載ってしまいまし
た。
電話して励ますべきかーーいつもそうやってきたよ
うにーーと思いましたが周りにとめられました。奴
は今でも囮に使われている可能性あり、電話も盗聴
されているだろうから、という理由です。やれや
れ、自分で何とかしなさいよ。赤ちゃんもいること
だし。

話は戻って、その雑誌、Jetに、`最近96歳で亡く
なった,ダンサーで教育者の Katherine Dunham の言葉
が載っていました。

Be sure that your every breath,every thought,every movement,every
deed is being helpful to someone or something. Be sure that you are
honest and true. Find ways to be stronger and wiser every day.

全く、今の私に必要な言葉です。それですぐ引越準
備をするわけでもないがーー
家を修理中の皆、急がないでゆっくり、様子を見な
がらいくよ、と言っています。ジャミールは「でも
ね、修理が終わったらすぐ保険屋にその旨を知らせ
なきゃだめだよ。じゃないと、この次ハリケーンで
家が壊れたとき、認めてもらえないからね」

そう、ずるい保険屋は「家を3フィート持ち上げた
から見に来てくれ」と3回電話しましたが,返事無
し。「オフィスまで足を運ぶんだ! 諦めちゃだめ
だよ」
ジャミールの言う通りだわ。よし、来週の目標だ。

ジャミールはウイリー・ハンフリーなどのいとこ筋
にあたります。バーボンストリートと、セントピー
ターの角のメゾンバーボンでラッパを吹いてるのを
見たことある人も多いでしょう。映画 Ray にも出
演しています。昔はDr.Johnのバックなどもやってい
ました。このサイトを見る人は、そういうのも聴い
ていらっしゃるでしょうか。

2006/06/16

サバイブしなきゃあ!

首が直ったので、だいぶ気分がよくなりました。
先週のカジノも面白かったし(リチャード・モート
ンのファンクは最高、しかもアコースティックベー
スで。この人は浅草に行きますから、是非聴いて下
さいね)
今週はトレメブラスバンドでプレザベーションホー
ルがある。ベニーは最近、いつも違う人を雇うか
ら、誰と一緒かわからないけど、私はとにかく、
スーザホーンが好きなのだ。

しかし、引越問題はまだ片がつきません。
電話は、ベルサウスに今のうちに言っとこうと思っ
て、またつないでくれるよう頼んでみたところ、な
んと、今度の月曜に来てくれるとか。
皆、2ヶ月くらい待つと言っていたので驚き。ただ
し、前と同じ番号を、と言ったら、その番号は使え
ないなどと間抜けなことを。
「一時的に解約したんだから、1年はこの番号を空
けておくという話でしたが」「その通りです。どう
なってるんでしょう、調べてみます」
彼女は1時間近くかかって、月曜に工事に来るとき
までに、前の番号がつなげるようにする、という答
えを出しましたが、さてどうなるやら。

電話がつながれば、アラームシステムをつなぐこと
ができます。が、肝心の警察がーー
警察官の数が足りない。空き家ばかりのところは、
その家の付属品ーーニューオリンズ特有のシャッ
ターやら、ポーチの飾りやらを盗みにくる泥棒がい
るらしいし、先週は、警察官がダウンタウンのスパ
で強盗事件を起こしたらしいし。

仕事は断りたくないし、夜、娘とベビーシッターを
置いて出るのも不安だし,勿論ハリケーンも怖い。
うちは3フィート持ち上げたから,水はまあ、家の
中は大丈夫とは思うが(家の周りが水で囲まれて
も)この夏は何回避難しなきゃいけないだろうか。

しかし、皆がお互いに牽制しあっているようなこの
状態では、いつまでたっても状況は変わりっこな
い。誰かが度胸を決めて始めなきゃあーーと悲壮な
決意を固めようかとしたとき、ドリーンに「家具は
ビックスバーグに置いておけば安心じゃない。警官
は少ないし、堤防はいい加減。ハリケーンシーズン
が終わるまで待ってたっていいじゃない。小さい子
もいるんだからさ。ゆっくり考えなさいよ」とたし
なめられました。

あ〜,全くその通りですね。そんなわけで、未ダ定
マラズ、という状態です。これってほんと、ストレ
スになりますね。なんか、さとるみたいな口調だけ
ども。

いや、無事に生きているだけで、感謝しなくちゃい
けませんね。

ダーティーダズンの新しいCDが8月に出るのです
が、レコード会社の意向で、マービン・ゲイの曲を
バンドが演奏し、いろんな人が歌ったりラップを
やったりしています。
今この時にマービン・ゲイの歌を思い出そう!とい
うわけで、カバーは洪水の写真になるみたい。
それはともかく、What's going on ラップバージョンを
聞いた娘は「マービン・ゲイの歌はWhat's going on~て
きれいな感じでしょ、これはこんなラフな声でWhat's
going on! だって」と踊りながら大笑いしました。そ
の踊りがおかしいやら、マービン・ゲイの元の歌を
覚えていることに驚くやらーーーそして、そう、と
にかくサバイブしなきゃあーーと思うのです。
survive 生き残る、というより、生き続けるとでも
言いたい。

2006/06/10

友人への手紙(今の心境)

昨日はさとる君のお友達の方にお会いし、この
ページを読んでいますと言われ,更新しなくちゃ
あと思ったのですが、新しく元気に書く気力が今
ありません。
東海林さんから引越の予定を聞かれたところだし、私
の住んでいる家の持ち主の方への手紙をそのまま載
せたいと思います。
*********************************************

> お返事差し上げるの忘れてました
>
> 千葉敦子と箙田鶴子の本「いのちの手紙」読みま
> したが、この箙田鶴子という人はその後どうなっ
> たかご存知ですか。
> 検索する限りでは、ほかの著作は出ていないよう
> です。小山内さんはまだ健在のようですね。
>
> 千葉敦子の厳しい言葉をしっかり受け止めてひる
> まずに返す、などは、余人に真似できないところ
> です。「神への告発」などもう絶版のようですが。
> 千葉敦子の本も、だいぶ入手が難しくなっている
> ようですが、弓子ちゃんが奮闘して,幾つか買っ
> てくれました。こういう本を、どうして次々に絶
> 版にしてしまうのでしょうね
>
> 千葉敦子の厳しさは、いつもいつもこうだったの
> か、時には弱音を吐くこともあったのか、とにか
> く本を読んでいると怒られてるような気になり
> 自分でも反省するわけです。洪水からこのかた、
> なんとかやってきてはいますが、投げ出したく
> なったり,恐ろしくなったり、そういうことは
> しょっちゅうあります。
> 周りにも、神経が参っている人、病気になる人、
> ぽっくり亡くなる人、酒や薬に溺れる人などいろ
> いろいますが、精神状態には大差ないような気が
> します。
>
> 20年近く行っていた、美容師は心臓発作で2週
> 間前亡くなっていたそうです。先月、カジノで
> ばったり会って、店は開いてるからいつでもどう
> ぞと言われたのですが。
> 親しかったわけではないけど、こんなに長く知っ
> ていた人がいきなり死んだと聞かされると、
> ちょっとね。
>
> 引越ですが、家はペンキを塗っているところで、
> 床、内装と外装ということになれば、あと間もな
> く、と云いたいのですが、ここからが時間がかか
> ります。
> それはいいのですが、電話はいつ引かれるかわか
> らず(ベルサウスの回答)水は,町中のパイプが
> 壊れてあちこちで漏れているため、水圧が低く、
> 火事が起こったら消えないよ,という有様です。
> 近所の人も家の直しにかかっていますが、まだ住
> んでいる人は僅かです。大通りの角から1,2軒
> 目は手もつけられておりません。
> 私は避難用の車を買いたいので、2台駐車するた
> めにも、早く家に帰りたいのですが。
>
> こんなことになったのは、Army Corpのいい加減な工
> 事と検査のせいで、それは自ら認めたようです。
> しかしだからと言って,生活が元に戻るわけでは
> ありません。
>
> 自己憐憫を始める前に、娘と娘の友達の世話を
> し、そのまま仕事に出かけて、週明けにベルサウ
> スにまた電話するとか、羽アリ対策を考えるとか
> やりたいと思います。
> 気力がないのは、きっと寝違えて首がまわらない
> からだ。カイロプラクタ−の先生は、未だテキサ
> スに居て、2、3週間ごとに、木曜だけやってき
> て友達のオフィスで治療してくれます。昨日行っ
> たのですが、筋肉痛はまだ治りません。首の骨は
> 治したから「wait to come out」と言われました。私は
> ろくろ首になった気分だ
>

2006/05/27

損害者はこのバーナーをクリックして下さい

これを読んでいる人で、堤防決壊による損害を蒙った人は、このサイトをごらんください。

IF you want to get on a class action lawsuit. This is the web site for Bruno & Bruno, Attorneys at law.
you must download the Form 95 to register with them.

BRUNO&BRUNO

2006/05/19

荒れ果てた高級住宅地ポンチャトレン・パーク

Cache3000一昨日はSlidelの税理士を訪ねた帰り(彼女はChalmette
の大きな家に住んでいたが,今はその辺りは居住不
可能なので, Slidelのトレーラーに住んでいる。税金
申告の時期が終わりーーただし、ハリケーン被災者
は8月末まで罰金なしで猶予されるーーー、漸く保
険がおりたので、あと2、3大きな仕事を片付けた
ら、ルイジアナの北の,水が入らない地域に家を探
すつもりらしい)、Pontchartrain Parkという辺りをみて
廻りました。フェアグラウンドのあるGentilyと、New
Orleans Eastの中間に位置する,裕福な地域です。ゴル
フコースや、Southeran Universityがあります。

しかし、以前は裕福な、きれいに整備されたところ
だっただけに、かえって悲惨に移りました。水は5
フィートから,多い所は8フィートくらい入ったの
でしょうか。湖からすぐのところですが、道ががた
がたで、ひび割れていました。ごみは比較的かたづ
いていましたが、寧ろ、片付けていない人が多いの
では、と思わせるような埃っぽさでした。
他の地域では、Eastでさえ、トレーラーがもう少し
見えるのに、ほんの数えるほどで、人も車もいませ
んでした。

更に昨日は、Metairieへ行った帰り、被害の大元であ
る、17th Street Canalの辺りを見てきました。写真では
見ていましたが、本当に堤防が壊れたあたりは、今
も大して変わらない有様です。屋根の辺りまで水の
線があるのは仕方ないとして、家の側面がぐわっと
えぐられたようになっているのには、水の勢いの恐
ろしさがうかがえます。道はここも、がたがたに
なっていました。しかし、片付けるひとたちや、堤
防、道の工事をしている人たちはいます。橋ひとつ
渡ったむこうのMetairieではなんの問題も無く日常生
活をしています。

堤防の周りは家を売りに出している人も多いいです
が、SOLDの表示は見られません。決壊地点のすぐ側
の家には「Allstate(大手の保険会社)はこの家に1
万ドル余りしか払わなかった」という旗がひらめい
ています。洪水前なら、あの大きさの家なら、50
万ドルくらいするでしょうね。「今回の水は、大雨
で起こった洪水ではないから、洪水保険はカバーし
ない」という馬鹿げた言い逃れを聞きましたが、そ
の口でしょうね。あの辺り、みんなレンガ作りだか
ら、なんとか建物は残っているわけで、9th Wardのよ
うに、昔からの木造の家だったら、ひとたまりもな
く崩れ落ちているでしょう。

堤防の向こう側では問題なかった、というのは、堤
防の作り方の違いです。向こう側はコンクリートの
壁の外側が土手になっていて,土が壁を支えている
のですが、こちら側にはその土手がなく、堤防沿い
の道もなく、すぐ内側に家が建っています。「うち
の裏庭のところが決壊した」というのは,本当なの
です。家の後ろ側の塀が急に壊れて水がどどっと
入ってきたようなもんです。1年に1回される筈の
堤防検査が杜撰だった原因のひとつはここにもあり
ます。検査するのに、一軒ずつまわって、裏庭に入
らなくてはいけなかったのです。
これは、London Canalの辺りでも同じ事です。車が漸く
通れるくらいの道はついてはいますが、壁を支える
土手は全くなくて、すぐ内側にもう家が建ち並んで
います。壁の高さもたかが知れたもんです。

話は変わりますが、ルイジアナの南の端のほう、地
図で見ると地面はずっとつながっているのではな
く、水の中に浮かんでいるようなところに道が伸び
ているというような所に、Veniceという町がありま
す。そこから更に南の、The Villegeというところは1
6世帯、漁業で生計を立てていた人たちですが、
年々水が増えてきて、昔は道を渡ってこの沼、あっ
ちの池と出かけていたのに、今やひとつにつながっ
て、海になってしまい、このハリケーンの後,戻っ
て暮らすのは無理なようだと、新聞に出ていまし
た。ずっとそこで同じやり方で暮らしてきたという
のに。

ニューオリンズにそんなことが起こらないように願
いたいですが、水のことでいえば、地盤沈下によ
り、あと100年もしたら、この町は海の底だとい
う意見もあります。しかし,水のことを言っている
のではありません。文化のことです。

どうもこの町では,昔から、黒人のコミュニティー
をつぶそうとする動きがあるように思われます。高
速道路が通っている、Claiborneという通り、マルディ
グラインディアン初めいろんなパレードの終点でも
あります。あそこは,高速道路ができる前は、広い
道幅の真ん中に樫の木がずらっと植えられていて、
皆がピクニックをしたりする、住民にとって大事な
ところだったらしいです。その両側の地域を比べれ
ば,家の造り方なども同じで,高速道路に分断され
てしまったことがわかります。サッチモ公園にして
も、あれを作るためにあの辺り一帯の家は壊されて
いるわけですから。あそこも、フレンチクオーター
の続きのような,裕福な地域であったわけです。フ
ランス語しか話せない祖母はあそこに住んでいた
と、ハロルド・デジャンが言っていました。

70年代は、あの辺りは角ごとにクラブがあり,週
末から日曜の午後まで,バンドの入っていないクラ
ブはなく、しかも、どれも良いバンドであった、と
私のボスも言います。土曜の夜から日曜の夜明けま
で演奏して,朝、教会へ行ってそのまま午後の演
奏、という感じだったらしいですね。今や犯罪多発
地域、空き家はドラッグの拠点で、私もここ10年
くらい、日本の学生が来ても,あの辺りに行けなど
と言わなくなりました。しかしここ2、3年程は、
また白人が家を買って直したりして、きれいになっ
た道も出て来ていました。

そして、Ponchartrain Parkです。ハロルド・デジャン
は、元々は現在のDesire Projectの辺りに住んでいたが、
Project(低収入の人に、政府が安く貸すアパート)
が出来るので、Ponchartrain Parkに移ったと言っていま
した。医者や弁護士、資産を持って引退した人たち
などが住む地域です。家は南部の高床式ではなく、
カリフォルニアなんかで見られるような,地面と変
わらない高さの、レンガ作りの大きな四角い家が主
です。ミュージシャンでは、リッキー・モネ、アー
ニー・エリー、デイブ・バーソロミュー、アーマ・
トーマスなどが住んでいました。去年亡くなったレ
ジナルド・コラーのお葬式もここの大きな教会で行
われました。

それが今や人ひとり見られない場所になってしまい
ました。あれじゃ、アーニーが、今すぐ家を直そう
とはしないで、周りの様子をうかがっているのも当
然です。コミュニティーが消失しています。一人で
は帰りたくても帰れません。New Orleans Eastでは、道
によっては人が帰ってきているところもあります
が、住民の半数が帰って来なきゃ公園にしてしまう
などという案があるようでは,皆不安で帰れませ
ん。早くから帰ってきて、レストランも営業してい
るベトナム人の住む地域では、そのすぐ側に、粗大
ゴミ(今回の洪水の後のゴミ。家財道具、洗濯機な
んかも)を捨てる場所を市役所が探しているので、
ベトナム人たちは猛反対しています。

ニューオリンズや周辺のスーパーに行くと、土木関
係に安く雇われてきているメキシコ人、その家族で
にぎわっています。商品もそれに合わせてメキシコ
系のものが増えています。タワーレコードでもラテ
ン系のCDのコーナーが増えました。日本人だって,
私が20年前来た時に比べると増えています。
それはいいことです。バラエティのある奥行きのあ
る文化の方が魅力的です。元々それがニューオリン
ズの特徴です。生物学的にも、他と交わっていろん
な特質を備えた動物の方が生き残る確率は大きいの
です。

しかし、この町本来のクレオール、そのさらに大元
のアフリカの特徴が消えていったら、それはニュー
オリンズではなくなってしまいます。貧富に関係な
く,黒人コミュニティがなくなってしまったら、パ
レードも何もあったもんじゃありません。私の娘が
年をとった時に「私の子供の頃は、毎週ストリート
でパレードがあったもんでした」などと言うことが
ないようにしたいです。

そういう意味では,市長の「チョコレート発言」が
出て来たのは当然のことです。大体あれは、マー
ティールーサーキングの日のスピーチで、その前
日、折角行ったパレードでどこかのバカが銃をぶっ
ぱなしたりしてるから、「恥ずかしいと思わないの
か、もっと自覚をもってくれ、自分たちの町じゃな
いか」というふうに話したことなのに、政治的に曲
解されて利用されてしまいました。今週の市長選で
彼が仕事を続けていくかどうかが決まります。

私が21年前に来た時、この町ではおじいさんおば
あさんが楽しそうに演奏していました。年とって
も,若い時と同じように音楽で仕事ができるなんて
すごいと思いました。だから私はここに来ました。
そして,自分もそうなるつもりでした。しかし3、
40年したとき、果たしてそういう環境が維持され
ているだろうか。政治家もさることながら、一人一
人のミュージシャンにもその責任はかかっていま
す。今や、ただ演奏するだけではなく、この文化を
ひき継いで町を守っていくという責任が、ニューオ
リンズの音楽をやっている一人一人の肩にかかって
いると思います。バンチーが、インタビューで言っ
たように、この文化をあちこちに伝えて,人々に楽
しんでもらうこと、これが今ほど大事な時はないか
もしれません。

2006/05/13

ジャズフェスを終えて

ジャズフェスの仕事というのは、以前は仕事のうち
のひとつ、でしかなかったのですが、今年はちょっ
と違いました。
避難先からそのために戻ってきたミュージシャンが
多かったからです。

ウォルター・ペイトン、マーク・ブルックス、エ
ディボー・パリス、レスター・カリエ、ハーリー・
ブランチャード、ジョー・ソールスベリー、ジェ
フェリー・ヒルズ、バンチー・ジョンソン、数え上
げればきりがないです。ま、皆、ちょくちょく戻っ
てきてはいるようですが、顔を合わせるのは久しぶ
りというわけで。

私は毎年やる、ジョン・シモンズ、ウォルター・ペ
イトン、グレッグ・スタフォードが3つ全部同じ日
にあって、その日は陳腐な言い方で言えば,燃え尽
きたという感じでした。特にウォルターが面白かっ
た。

私は楽器がら、ベースの音を一番注意して聴きます
し、コード進行やリズムなども学ぶことが多い。所
謂,正規のジャズ教育は受けなかった私ですが、一
緒に演奏するミュージシャンたちがお手本と言いま
しょうか。チューバ・ファッツ、カーク・ジョゼ
フ、ジェフェリー、ウォルター、マーク、ジェ
リー・アダムス、クリス・セバラン、リチャード・
モートン、ジョー・ペイトン(96年に死去)、リ
チャード・ペインーー
中でもウォルターとは演奏の機会が多かったと今更
ながら思います。

今夜は,スタンダードトリオの演奏がありました。
会った事無い白人の二人。上手だったけれどもーー
Mercy,mercy,mercyという曲は私は苦手だったんだが、今
夜は上手にできた。こんなふうに弾いたら、マーク
やウォルターなら、喜んで笑ってくれるだろう、曲
の合間に冗談を言ったりーーなどと思ったら、すっ
かり悲しくなって泣きそうになりました。

ウォルターは、ルイジアナの北、タルーラという所
に落ち着いて,音楽教師をしています。演奏の仕事
は恋しいけど、ニューオリンズじゃ音楽教育が予算
削減でカットされたので規定の年数に満たないうち
に退職してしまった、ここで残りの年数働いて,退
職金をきちんと貰ってーーという算段だそうです。
そのため、日曜のフェアグラウンドの後、そのまま
5時間運転してタルーラに帰ってしまいました。

ウォルターのためにはいいことだろうけど、やっぱ
り早く戻ってきてほしいな。プリザベーションホー
ルの仕事は、なにも、街一番の素晴らしい仕事とい
うわけではなかったけれど、でも、皆で演奏で盛り
上がったり、休憩中にいろんな話をしたり、はたま
た誰かがくだらない子供みたいな喧嘩をしたり、あ
あ、楽しかった。いつになったらまたそんな時が持
てるのやら。

今修理中の堤防は、6月にはなんとか、と言ってい
ますが、カテゴリ−2のハリケーンにしか耐えられ
ないそうです。つまり,今年の夏はカテゴリ−2の
ハリケーンが迫って来たら、もう避難しなきゃいけ
ないわけ。ならば、安全なところに住んでいる方が
いいに決まってるけどーー全くなんでこんなことに
なっちまったんだろう、と思ってしまいますねえ。
なまじ、皆に会えただけに、終わってちりぢりに
なって、かえって寂しくなったジャズフェスでした。

2006/04/24

ニューオリンズ市長選挙

現在の市長と、今上院議員をやってる人の弟が、来
月再選挙で争うようです。
今の市長じゃ全然埒が明かないね、と思っていまし
たが、テレビでのディベートでは、現職の強みで、
具体的な数字を挙げて答えている様子が,他の候補
者を圧していました。
誰がなるにしろ、本人の力だけではなく、大統領や
知事や、議会の助けを得られる人でないと,事はは
かどりませんね。

nola.comはニューオリンズの新聞のサイトですが、ハ
リケーンの時の写真でピューリッツァー賞を取った
ようです。改めて,当時の写真が見られます。
この写真を見て「貧乏だからこうなったのさ」と思
う人は、きっと、自分だけは天災に遭わないで過ご
せると思ってるのでしょうよ。

私の家に戻るのには、まだ時間がかかりそうです。
アーニー(ds)はポンチャントゥーラーに住んでいて,仕
事の時は50マイル余りを運転して出て来るそうで
す。もっとはっきりした答えが出されるまで,家の
修理はしない、と言っていました。

誰でもいいから何とかしてくれ、と言いたいです。
私は家に帰りたい。皆と一緒に演奏したい。

2006/04/07

トレーラーハウス

昨日,我が家の辺りを通って,湖の側まで買い物に
行きました。
いやあ、まだまだですね。家を直しているはいるん
だが,住んでいる人は少ない。トレーラーも置いて
ありましたが、中に住んでいるのかどうか。

注文した数に全然届いていないのは相変わらずです
が、それは手続き上の問題も多いらしく、やっと届
いたけれど鍵がなくて入れないというのはよく聞く
話です。
また、トレーラーを置くために、木を切り倒さなく
てはいけなかったり、水道のメーターの上に置かれ
てしまったり、などという例。
おかしいのは、私のボスの一人、デイビッドです
が、Lakeviewの家を直したのでトレーラーはいらない
と断ったのに、ある朝トレーラーが届いた。しかも
2台。
夫婦二人に子供三人の家族です。一番下の子はまだ
3歳。
「夫婦に1台,子供に1台か、自分と妻が別れて子供
も一人と二人に分けるのか、どっちにしても馬鹿馬
鹿しいね」と笑います。
池尾記者はトレーラーの中はすごく狭くて、2,3
日ならともかく、ずっと生活するのはきついでしょ
うと言っていました。
又,強風には弱いので,この次避難する時は,早め
に出るようにということです。
あまり実用的ではないということですね。

うちの犬の獣医さんは,オフィスに水は入らなかっ
たのに,電気が通っていないので開けられないと,
1ヶ月前こぼしていました。昨日通ったら,電柱に
工事の人がいたようです。さて,先生はオフィスを
開けてくれるでしょうか。

娘の学校は水が入らなかったので10月末から開け
ていました。生徒数は1月で各クラス5、6人。
(以前は20人余り)今は7、8人。
授業も遅れています。子供たちも勉強に身が入らな
いでしょう。それでも,なるべく,日常に戻してや
る事が大事です。
給食はありませんが、ずっと、赤十字がランチを
作ってくれていました。今日から今年度終わりまで
はお弁当です。

赤十字は地味ですが、やはりあちこちでやる事は
やってくれていますね。寄付をしてみようという人
は,赤十字に送るのもいいと思います。

2006/04/04

その後の医療事情と音楽生活

毎日、一見何事もなかったように流れていきます
が、ちょっと何かあるとたちどころに困るのが
ニューオリンズの生活です。

歯の詰め物が取れました。かなり大きな穴ですが、
まだ痛みはありません。知り合いに電話をかけま
くって歯医者を探しましたが「かかりつけの歯医者
さんは戻ってきていないから、自分はこの1年くら
い歯医者に行っていない」という人が殆どでした。
私の歯医者さんも、被災後、まだオフィスを開けて
いません。ニューオリンズの隣町,メタリーでは、
オフィスが被災した医者が、無事だった医者のオ
フィスを半日借りて営業などというのもあります。
私の娘の小児科医もそうで、営業時間が少ないの
で、いざ予約するのは難しいですが,電話で話す事
はできます。

こんな調子ですから,開いている医者は大忙しのよ
うです。とりあえず、水曜の5時半にみてくれると
いう医者が見つかりました。それまで痛くならない
事を祈るばかりです。こんな具合で、いざ何か故障
が起きると不便なことが多いです。

車もそうで、信頼おける大手の修理屋が少なく、ま
た開いているところは非常に混んでいて時間がかか
るというわけです。Goodyearに「いつ開けるんでしょ
う」と尋ねてもはっきりした答えはありません。働
く人が居ない事が大きな原因でしょう。

私個人の生活としましては、ようやく、日本人の知
り合い関係から、なんとか週7日をカバーできるだ
けのベビーシッターを集めました。私は常に4−5
人の子守りを確保していますが、日本人でない人が
いない、というのは初めてです。いつも募集する、
ニューオリンズ大学に広告を出しましたが,反応は
ありませんでした。しかしまあ、これでとりあえ
ず、どの日に仕事が来ても,断らないですみそうで
す。娘も皆になついたようです。

仕事としましては、ダウンタウンのカジノが、隔週
で金曜土曜日曜とあります。この仕事のボスは、
ジョージアに仮住まいしていて、仕事のある週は7
時間運転してやってきます。前に写真を載せた,
London Canal の側に家があるので、政府がはっきりし
た政策を打ち出すまでは,何もできないんだそうで
す。

それから毎週木曜、Donna's でシャナンのバンドがあ
ります。これはオーナーのチャーリーが特に「プリ
ザベーションホールでやってるような、トラディ
ショナルジャズバンドの日を設けたい」というので
やっているものです。私は,トラッドと言いつつ、
いろいろやるバンドが好きなのですが、現在、ト
ラッドの仕事をあまりしていないのでいいかなと
思ってやっています。ただし、まだ店からの ガラ
ンティーがないので、収入はたかが知れています。
子守り代が出ないこともありました。でもシャナン
は結構時間通りにやってくれるし、CDを売る事も出
来るので続けています。

船の仕事はぱっとしませんが、その同じボスが、ス
タンダードのトリオの仕事を取り始めたので、そん
なのもやるのは練習になります。他のことと同様、
開けているレストランはなかなか混んでいます。

後は単発がカジノのない週に入るかな。ま,悪くは
ないですね。自分の仕事ももっと取りたいのです
が,ミュージシャンがいないので、思うようにはい
きません。ボブフレンチもこぼしていました。
「せっかく仕事を取っても、やる奴がいないから断
らなきゃいけない」
日本に行った時のバンドを基にして、2つ取りまし
たが「皆で仲良く気持ちよくできるバンド」という
のはなかなか難しいです。まあこのバンドは,今す
ぐではなくても、5年くらい先をめどに、少しづつ
やっていく考えです。焦ってことを進めようにも,
周りはついてこない、というのは、ハリケーン前か
らのニューオリンズの特徴でもあります。

どうも「なかなか」「とりあえず」「まあ」を多用
してしまっていますが、これが現状です。

今住んでいる家には,持ち主の方の、面白そうな本
があるのですが、どうも読み出す気になれません。
料理も然り。なんかこう、毎日献立に困る事なんて
滅多になかったのに、最近は何も思いつかない。Y
子ちゃんが「お疲れですねえ」と言います。S君も
「人間というのは、周期的に気力体力が落ちるらし
いから気をつけて」と言っていました。ふん、これ
がそうなのかな。

今夜は千葉敦子のものなど読んだので,少し元気が
出ました。この人の本は,以前私も持っていて、き
りっとした文章に励まされたものでしたが、すべて
水にやられました。それから、英語の歌詞を書く前
に,1年準備期間を置いて、英語の本を一生懸命読
んだのですが、それも半分以上なくなりました。ま
た1から読む気はないにしても、本棚にあるのを見
るたびに「ああ、私はこれを頑張って読了したん
だ」という気持ちになれたのですが。しかし、リ
タ・マーリー(ボブマーリー夫人)、ルロワ・
ジョーンズのもの、マヤ・アンジェロウ、名前は忘
れたが女流科学者の伝記を集めたものなどは、また
読みたいという気分がわき起こっていましたので、
注文しようかと思います。注文しても郵便事情が悪
くてなかなか来ないのですが。

あーまた、「なかなか」を使ってしまった。やれや
れ、元気を出さなきゃね。

2006/03/21

お粗末な復興プログラム

昨日から申し込みを受け付けている,州の、家を修
理する費用を援助してくれるというプログラムに
は,既に7千人が申請したそうです。(nola.comより)
これは$5200以上の損害を蒙った家の持ち主
(ただし、貸家ではなくて、そこに自分が住んでい
ること)に対し、最高15万ドルまで出そうという
ものです。保険を持っていない人、修理額に満たな
い人には適切なプランのように思われます。

しかし、この70億ドルかかるだろうというプラン
を支えるための財源を、州政府は確保していませ
ん。ブッシュが約束した40億ドルだけが頼りとい
う,お粗末なしろものです。

とはいえ、他にこれといった方法もないので、家に
帰りたいという人たちは、このプログラムに頼らざ
るを得ないでしょう。私も申請しました。
もう帰らないと決めている人には、被災前の60%
の家の査定額を出すというプログラムもあります
が、この査定額は,税金を払う際に使われるもの
で、ここ数年2、3倍に膨れ上がった家の値段には
おいついていないため、実際に払われる額は大した
ものにはならないでしょう。また、洪水保険に入る
ことを義務づけられていた地域にもかかわらず、洪
水保険に入っていなかったという人には,更にその
額の30%が差し引かれてしまうそうです。

現在修理している堤防は、実は被災前と同じく、1
959年に出されたハリケーンデータに基づいて作
られている、というニュースも出て来ました。よく
考えれば,前から言われていたことですがー6月ま
でに,被災前と同じ強度の堤防にする予定である、
と。しかし、住民もしくは元住民を動揺させるには
十分です。ハリケーンシーズンはあと3ヶ月で始ま
りますし、今だって例年より暖かくて、毎日華氏8
0度近いのです。私はそろそろ別の車を買って避難
の準備をしなきゃ、と考えているところです。

2006/03/15

WWOZ寄付金募集中!

WWOZ

WWOZはニューオリンズ地元の音楽をかけているラジ
オ局です。
アームストロング公園の中にありましたが、ハリ
ケーン被災後、フレンチマーケットに移りました。
現在寄付を募集しています。寄付をしてメンバーに
なると、いろんな特典があります。詳しくは上のア
ドレスをクリック!

2006/02/18

今年のマルディグラは・・・

マルディグラのことでお尋ねがあったので書きます。
スケジュールは新聞サイト(いつも言ってる、
nola.com)でおわかりのように、今週金曜はニューオリ
ンズではパレードなし(メタリーではある)
土曜は、正午からぶっつづけで5つのパレード全部
出してしまうという感じです。
ルートはアップタウンから来る、1つだけ。まあ、
ダウンタウンで仕事する身には楽でいいけど。

先週土曜はクール・ド・ブーというパレードがあり
ました。これはブラスバンドも沢山出るし,歩いて
フレンチクオーターを通る小規模なもので、比較的
見易いものです。
私は行きませんでしたが。

それはともかく、火曜の朝、その通り道である、
Decateurを通ったら、まだごみや酒ビンがいっぱい散
らばっていました。
市の清掃員が少ないからです。そういえば、清掃車
は出ているのだろうか。

観光客を誘致しないとこの町はやっていけない、と
はいえ、お客さんをよぶ準備はまだ整っていないと
いうのが現状です。
パレード警備のための警官の給料を賄うための、パ
トロンを募っていましたが、見つかったんですかね
え。

2006/02/16

ロンドン・キャナル裏側の現状

Behind_london_canal1_26_06
写真ご覧になりましたか。
(1/26撮影:新聞掲載)

あの辺りは、市がどうするか決めていないので,
直したくても直せないという状態です。
ここと同じような有様はいたる所に見られます。

あいかわらず、町としての機能は回復していませ
ん。信号もついてないし、郵便やごみ回収はめ
ちゃくちゃです。市内の7つあった大病院は、2
つしか開いていません。小学校も数える程しかあ
りません。

昨日、ホテルに居た人たちは全部出されました。
しかしトレーラーは要求の1/5しか来ておら
ず、シェルターはルイジアナの北西の端、Shrevport
まで行かないとないそうです。

壊れた家に戻るという人や、どうしていいかわか
らんと座っている人たちがいます。
みきちゃん(ボーカリスト)はニューオリンズに戻ってきて、友人
宅に寄せてもらうそうです。

なんとかしろーと言っても,何もしてくれないの
が現状です。

2006/02/06

床上浸水の我が家

ハリケーンによる堤防決壊で周りはご覧の通りでした。現在、家は改築中です。
Floodedhouse

2006/02/04

復興委員会の案

2週間程前、復興案が提出されました。4ヶ月過ぎ
てから。遅い!

5/20までに、せめて半数の住民が戻ってくる様
子がない地域は、全部つぶされます。
政府が家を買い上げたり,公園になったりします。

洪水の被害が大きかった地域には、暫くの間、工事
を進めてよいという許可を出しません

というわけで、住民のショックは大きく、非難を浴
びている案ですが、市長がそろそろ、この案を取り
入れるか決める筈です。

大学など、開いたのですがキャンパスの修理で大赤
字なので、教授や職員を大量に解雇するそうです。
洪水があった地域は,個人の努力はなされているも
のの、折角家から出した廃棄物も、市がなかなか取
りにきてくれなくて、道に積んであるままなので、
町はものすごいスラムのように見えます。家賃や売
り家の値段は沸騰しているので、住民は近くに帰っ
てきて家の修理をしたくても出来ません。約束され
ているトレーラーは大幅に遅れている上、不備な点
が多いらしいです。

電気代の徴収はそろそろ始まるのですが、電気を通
すには、まず、市の検査を受けなくてはならず、そ
の検査をする人が6人しかいないので皆順番待ちで
す。

信号がついていない

洪水のなかった地域では、一見普通の生活のように
見えますが、やはり、ごみや郵便がきちんとしてい
ません。電話局の電話はまだ未通。ケーブルは使え
ます。
市が約束した無線のインターネットは使えません。

nola.comにもっと詳しく載っていますが、特に、市に
よって壊されることになっている家のリストがすご
い。ウイリアムの両親の家もだめらしい。
ロジャーの両親の家は大丈夫でしたが、隣近所がそ
の対象になっているので、あの辺の復興は無理かと
思われます。

2005/12/20

お礼申し上げます。

この度のコンサートに来て頂いた方、コンサートを
実現するために力を貸していただいた方、皆様に厚
くお礼を申し上げます。
バンドのメンバー一同も心を合わせて、楽しく演奏
でき、大変喜んで帰って行きました。
これは実は滅多にないことで、普通、ツアーといえ
ば、何か問題が起こったり、気にいらないと言って
文句を言う人が出て来たりするものですが、今回、
それが全くなかったのです。
そして、それが、音楽をやる上で一番大事なんだ
と、改めて思った次第です。

NOJSの皆さん、早稲田の現役諸君、子守りをして下
さった方々と、数え上げればきりがないのですが、
とりあえずはこの場でまとめて皆様にお礼を申し上
げる次第です。

2005/11/30

アパートに移るまで

娘の学校は決まりましたが、いつまでもパトリック
氏の所に居候していていいものかーーパトリック氏
は自身、ミュージシャンなので(Patrick Smith Band)キー
ボードも置いてあるし、外は自然が豊かで、馬が玄
関の前で草を食べているし、娘はここが大好きなの
ですが、部屋の床に持ち物を並べている生活には限
界が見えてきました。
それに、ここはダウンタウンから遠くて、まず坂
(殆ど山)を車で15分くらいかけておりないと、
何処にも行けないので不便でした。車が壊れたら身
動きがとれなくなります。

そこで、パトリック氏のお母さんが持っているとい
うアパートにやはり,移ることにしました。アパー
トと言えば、家賃を払わなければ行けません。FEMA
が払ってくれる筈なのですが、最初に申請をした時
点で「友達の家に居候」と届けてあるので、その手
続きには時間がかかりました。とりあえず赤十字で
何か貰ってこよう、ということで申し込みに行きま
した。

さとる君は,学校選びに必死です。彼の,働きなが
ら勉強するというステイタスに適っていて、しかし
音楽の内容も充実したものを探すのに、苦労してい
ます。それだけでなく、ハリケーン被災後2週間
で、「生徒を無料で(ニューオリンズの学校に,既
に支払っているので)受け入れる」ことは打ち切り
だという噂も流れました。移民局はまだ動いていな
いし、日本領事館なども、それについての対策は
打っていないようです。2週間と言いますが、その
うち1週間は,電気が通じていなかったし、電話も
携帯がつながりにくい状態だったわけです。皆が
皆、移籍できる大学の側に避難したわけじゃないの
に、大変不条理なことでした。

ラリー氏は、知り合いの教会に相談して,私たちの
アパートの家具を探してくれているようです。その
間に、私は銀行の口座を新しくこの町に作ったり、
家の払いや保険の払い、電話や携帯電話の請求書の
住所を替えたりという手続きをしていました。娘は
学校が楽しいようです。ニューオリンズの学校よ
り,校庭が広く、体育の授業が充実していて、やっ
たことのないものが沢山あるようです。ブランコ
も、ニューオリンズの学校にはなかったので、「あ
たしだけ高く漕げない」と言って、帰って来てパト
リック氏の裏庭で練習しています。

一方、ニューオリンズに残った人たちの消息が気に
なります。ジョン・シモンズは被災後1週間くらい
して、家族ともども、アパートからヘリコプターで
救出されました。ウイリアムたちに合流してジャク
ソンに滞在するようです。高齢のウイリアムの両親
も大丈夫だということでした。
エドワードは、友人から一度連絡があったきりでし
た。あー悪いことしたな、犬もかわいそうなことを
したと後悔するのですが、娘は「またすぐ会える
よ」とあまり気にかけていない様子。或は,私に気
を遣っているのかもしれません。失ったおもちゃ
や、本のことも、文句は言いませんでした。

ある朝、エドワードの友人からまた電話が入り、エ
ドワードが動物たちも一緒に救出されたということ
でした。これは、公的機関に助けられたのではあり
ません。「動物たちを置いて逃げられない」とエド
ワードは救助を拒絶していたからです。そこで、お
兄さんが密かにニューオリンズに入り(外部からは
入れない状態)、トラックとボートを駆使して家に
向かい、出てくるときは警察に追いかけられながら
逃げたそうです。エドワードと電話がつながって、
まず私は犬を預けたことを謝ったのですが「誰もこ
んなに大事になるとは思わなかったんだから」と逆
に慰められます。水は買い置きが沢山あったから、
動物たちは皆きれいな水を飲んでいたそうで、全
く、いくら感謝してもしきれないほどです。
しかし恐ろしいことには、1階が天井近くまで水に
浸かっているというのに、泥棒が入ってこようとし
たそうです。3匹の犬が吠え出し、「銃があるぞ」
と怒鳴ったら、慌てて逃げていったとか。また、近
くのYMCAのビルからは「助けてくれ〜」という声
と、壁をガンガン叩く音が何日か聞こえていたんだ
が、そのうち静かになった、あの人たちはどうなっ
たんだろう、というのも、ゾっとする話です。

ともかく、うちの犬、リーを夫が引き取りに行きま
した。娘には内緒にしておいて、朝,戻って来た時
に,夫が「おはよう。いいものが外にあるんだけど
ね」と起こします。娘はパっと目を開けて
「リー?」と聞きました。夫は喋ったな、という顔
で私を睨みましたが、そうではありません。娘はす
ぐに「ジョークだよ。何があるの?」と聞きまし
た。外に出ると、この2週間で、それほどやつれて
はいないけれど、でも、やたら静かで、ちっとも吠
えないリーがいました。おまけに変な咳をしていま
す。食べさせて,洗って、獣医に連れていくと、気
管支炎ということで,薬をもらいました。(水がな
かなかひかなくて、カビだらけの町に入ると、みん
なひどい咳に悩まされる)

さとる君にも漸くいい知らせが来ました。NYのジュ
リアードで1年間勉強できると言うのです。その
オーディションを電話でやるから、伴奏をして下さ
いと頼まれました。ニューオリンズで普通にやるス
タンダードな曲を、1コーラスずつくらい、何曲か
やりました。娘はさとるくんには何故かわがまま
で、向こうに行ってなさいというのに聞かないで出
てきてしまい、側で踊っていました。しかし、それ
がよかったようです。オーディションというより、
普通の仕事や練習のような、リラックスした感じの
演奏になったからです。翌日遅く、受かった知らせ
が入りました。

さとる君の出発するのと同じ頃、私たちもアパート
に引っ越すことになりました。教会の人たちは,家
具を揃えるだけでなく、中もきれいにしてくれてい
ました。娘のものも可愛く並べてあります。他に
も、さとる君の知り合いの知り合いという、創価学
会の人が、車で1時間半くらいかかる所から、日本
の食べ物などを持ってきてくれたことがあります。
政府はのろのろしているけれど、民間のこういうボ
ランティアは、アメリカは発達しています。ーーー
というより、変にてらいも遠慮もなく、厚意をか
け、受けるのです。FEMAの小切手は、とりあえず
「避難したこと」に関してのお金でした。赤十字
は、一人あたま$330程で、そのせいでしょう
か、受取りに行くと、銃を持った兵隊が並んでいま
した。避難民が怒って暴れ出すのを警戒しているの
でしょうか。

9/15、被災後ほぼ3週間で、さとる君はジャク
ソン空港からNYへ旅立ちました。それまでは大した
つきあいもなかった人でしたが、何故か一緒に避難
して苦労した仲です。彼の無事と成功を祈って別れ
ました。パトリック氏は「皆行っちゃうんだなあ」
とちょっと寂しそうでした。「ニューオリンズへ
帰ってから、また、ハリケーンで避難するときはお
願いします」と言って、私たちもアパートへ移りま
した。車で4時間の所に避難できるうちがある、と
いうのはなんと素晴らしいことでしょう。もう、あ
の、あてどない12時間のドライブをしないですむ
のですから。
ーーーーーーーーーーーーー
とりあえず、ここで避難記は終わりです。実際はま
だ避難生活をしているわけですが。
我が家は現在工事中です。出来上がるのは3月くら
いでしょうが、その時、下水道などの設備が整って
いて、住める状態かはわかりません。
12月末には、水が入らなかった、フレンチクオー
ター近くの友人宅に移る予定ですが、そこもまだ、
電話は通じていません。つまり、パソコンや国際電
話は出来ないということです。

洪水保険は、運良く、カバーする額を増やしていま
したので、家の修理はほぼ賄えると思いますが、つ
け加えて、家を持ち上げる工事をします。
というのは、堤防がきちんと修復されていないから
です。政治家同士で揉めていて、相変わらず収賄も
さかんで、本当にハリケーンから町を守れる堤防が
出来るのか、危ういところです。もし、政治家、技
術者を含め、全員がきちんと堤防補強に向けて動い
たとしても、完成するのは20年先だそうです。そ
れまでに、ハリケーンは何回も来るでしょう。
市の方でも、家を上げることを法令とするかどう
か、まだ決めていません。しかし、待っていてまた
洪水にやられるよりは、自分の費用でも、工事を遂
行したいと思います。

しかし、ニューオリンズイーストの方など、市が
「修復しない」と決めるかもしれない地域もあり、
そこに家がある友人は、状況を見極めてからでない
と、家の修理もできないと言っています。折角家を
直しても、市が後から、その辺りには住んではいけ
ないと言い出す可能性があるわけです。 FEMA の援
助もその辺りには来ないので、自分の費用で、屋根
に青いカバーをかけたそうです。(メタリーや川向
こうに行くと、屋根を直すまでの当座の処置とし
て、FEMA から支給された青いプラスチックカバーを
屋根にかけている家が沢山あります)そんなわけ
で、本当に家の被害のなかった人を除いて,現在、
問題なくニューオリンズに帰れる人はいません。な
のに、連邦政府からの援助は打ち切られようとして
います。この12月には、ホテルで避難生活をして
いる人は、アパートに移らなくてはいけないことに
なっています。私が,9月半ばになってから貰った
フードスタンプは、今月で打ち切りです。

ニューオリンズは文化的にもアメリカの中で特異な
町であり、そこの住民は、よそではとても暮らしに
くいのです。だから、皆帰れるものなら帰りたいの
です。でも家がない。イーストの友人宅は、とりあ
えず、修理しようと思えば修理できる状態です。し
かし、家の土台まで腐ってしまった人はどうしたら
いいでしょう。
政府が行っている,町の復興行事はほんの一部のこ
とです。マルディグラと、堤防と、どちらが先決で
しょうか。そこに住んで,働く人がいないで、どう
やって観光客をよぶのでしょうか。

2005/11/26

避難生活

外は雨。とうとう来たかーーという感じで映像を見
ました。去年のハリケーンから、いや、ずっと前か
ら言われていたことでした。
「ニューオリンズは土地がどんどん沈んでいる。根
本的な工事をしない限り、この現象は止められない
し、大きなハリケーンが来たらひとたまりもないだ
ろう」

大きな音がして、見ると,夫のバンドのバスが戻っ
てきたところでした。娘は大はしゃぎで、歌ったり
踊ったりですが、バンドの他のメンバーたちは、皆
言葉もありません。
心配事は山のようにありますが、とりあえずは何も
出来ないのです。

翌朝、バンドは、この、電気も水もないビックス
バーグの、パトリック氏の家の前に止まっていても
しかたないので、次のコンサート地のメンフィスに
向かいました。
外は晴れています。とりあえず買い物に出かけまし
た。車のオイルチェンジもしなくてはなりません。

この町は,坂道がえんえんと続いています。景色は
よく、馬もいます。休暇で来たのだったら、どんな
に素晴らしいことでしょう。娘は喜んでいます。
しかし、ニューオリンズの狭い町に慣れた私とさと
るくんには、わからないことだらけです。
 
まず、地理がわからない。道を人に尋ねるのですが
「ずーっとまっすぐ行きなさい」と言われるだけで
す。何だそりゃあ、と思いつつ、20分くらい、そ
の道を進むと,確かに目的地に着きます。「まっす
ぐ」っていうのは、「曲がらないこと」なんだなあ
と、改めて気がつくわけです。
大手の安スーパー、ウォルマートにたどり着くと、
ものすごい人です。ルイジアナナンバーの車もあり
ます。しかし、電気がまだ通ってないので、冷蔵庫
のものは買わないでくれ、ということでした。その
他、携帯電話のチャージャーやら、必需品を買いま
したが「何でこんな所でこんなものをまた買ってる
んだ」という思いがつきまといます。

娘は,本来なら学校ですので,本屋に寄って、ワー
クブックを買ってきました。その内容を見ていてわ
かりましたが、彼女のニューオリンズの学校は,大
変レベルが高かったのです。
2年生が始まったばかりですが、2年生の教材は、
去年やったようなことばかりです。「早くニューオ
リンズに帰ってあの学校に戻してやらなければ」と
思いました。

パトリック氏宅に戻り、なんとか皆に連絡がつかな
いだろうかとやってみました。とりあえずさとる君
が、シカゴの友達に電話して、そこからさとる君と
私の両親の家に無事を伝えてもらうよう頼みまし
た。フロリダに逃げたレスリーとは、何度か話しま
した。行方不明の人たちの名前を載せてもらうサイ
トがあるというので、とりあえずエドワードの名前
を載せてもらうように頼みました。

私は自分の手帳も家に置いてきましたので、殆ど誰
の連絡先もわかりませんでした。しかし、向こうか
らかけてくれたリロイ・ジョーンズや、さとる君が
持っていた番号、後は思い出した番号で、だんだん
皆の消息がわかり始めました。といっても、それは
暫くたってからです。それまでは携帯が全く通じな
かったのですから。番号を押して「現在この番号に
はつなげません」等の機械のメッセージを聞き、ま
た番号を押すーーーという空しい繰り返しをずっと
やっていました。

ある朝、ウイリアムに何故かぱっと電話が通じまし
た。ここから近いジャクソンに居るということで
す。彼の姉夫婦、両親は,ニューオリンズに残って
いるそうです。彼の義兄というのは、私のボスの一
人、ジョン・シモンズです。アパートの高い所に住
んでいるので,水は大丈夫だと思うが、いつまでも
あそこに留まってはいられないだろう、どうしたも
のかーーーというので、レスリーに頼んで、安否確
認のサイトにまた載せてもらいました。

更にウイリアムが言うには、ジェフェリーも、自分
のアパートにまだいる、今朝電話で話したというこ
とです。パトリック氏が夕方帰って来て,ジェネ
レーターで電気を起こす間,私たちはニュースを見
るのですが、そろそろ、コンベンションセンターの
ことや、店に皆が押しかけて物を盗っていくことな
どが報道され始めた頃です。おまけに、この水は
4ヶ月から半年はひかないだろうと言うのです。
「あんな所にいたら病気になっちゃうよ。ニューオ
リンズに居たら,ニュースも伝わらないからわから
ないんだよ。なんとか逃げるように言わなきゃ。さ
とるの車がジェフェリーのアパートの近所にある
の。あれを使って逃げられるよ」「もういっぺんか
けてみるよ」
私もジェフェリーの家に何回もかけましたが、電話
はつながりませんでした。

エドワードの友達という人から電話があり、エド
ワード自身はまだ家にいる、動物たちも皆元気だ、
とまた別の友人から伝言があったと言ってきまし
た。それにしても、いつまでもそこに居られやしな
いんだから。説得して連れ出さなきゃ、ということ
で、彼はその友人にまた電話をかけるようです。

こんなやりとりが出来るのは数える程で,大半の電
話はつながりませんでした。漸く電話がつながりだ
したのは、1週間くらい後でしたか。
さとる君の電話は、それより少し前につながるよう
になっていました。さとる君は,留学生のステイタ
スでアメリカに滞在しているので、ハリケーンだか
らといって、学校に行かないままでいていいのか、
心配になってきたようです。彼は彼で,その情報を
仕入れるべく、ものすごい量の電話をかけています。

娘は外で遊んだり、空手をやったりピアノを弾いた
りさとる君にいたずらしたり,その間に勉強もして
いますが、私の言うことをきかなくなってきまし
た。空手仲間のお母さんと話したら,彼女の5歳の
男の子もそうらしい。子供にとってストレスを発散
する唯一の方法なのでしょう。家で勉強させるのに
限界が見えてきました。
ビックスバーグの町は水も電気も5日位して回復し
ました。パトリック氏の家は電気に問題があって、
1週間くらいかかりましたか。町の学校は電気が通
じた翌日から開いています。
被災者は子供を学校に入れるように、ということ
で、全米の学校が受け入れ体制をとったようです。
ハリケーンの週の終わりには、レスリーはもう息子
をフロリダの学校に入れる申込書を貰ってきたと言
いました。

私はここにいるべきだろうか。こんな、坂ばっかり
の田舎で、仕事も無く過ごすよりは、親戚のいるシ
カゴにでも行った方が、私にも娘にもいいのでは?
悩む私には,娘の学校のことはなかなか決められま
せんでした。シカゴにいる、夫のいとこにも話しま
した。しかし問題は,ニューオリンズに戻れるよう
になった時、シカゴでは遠すぎるということです。
ちょっと車で、というわけにはいきません。ニュー
ヨークも同じです。友達がうちに来ていいと言って
くれました。そこそこ音楽をやって、彼女の店でも
手伝ってーーそういう暮らしも悪くはなさそうです
が、どうしても決められません。

決め手が見つからなかった私はまたウイリアムに相
談しました。彼には同じように小さい娘がいるし、
小学校の先生もやっているし、私の娘のこともよく
知っているからです。
「うちの娘は,ジョージアの親戚の所に送るつも
り。そこの学校はとても良いんだって」「マリの子
は、そこにいるのがいいと思う。へんに大都市に
送って,大都市の悪い子供の影響を受けさせるより
は」そう言って、ウイリアムは,田舎で、悪いと言
われている子は、ニューオリンズや他の大きな都市
では全然悪くない、良い子の部類に入るんだよ、と
例を挙げて説明しました。

確かに、動物好きのわが娘は、ここで馬を触ったり
して喜んでいます。ラリー氏の息子とも仲良しにな
りました。自然の中で駆け回る,なんて,彼女には
なかったことです。
試しに,パトリック氏の家の坂を15分くらい下り
たところの学校を見に行くと、ニューオリンズの公
立校とは問題にならないくらいの設備の良さです。
ただ、既に避難民の子供の受け入れが始まってい
て、生徒数は許容人数を超えるところだそうです。
「これ以上増えたら,先生も増やします」というこ
とです。

パトリック氏の家にいつまでも居候しているのも悪
いし、とうことで、氏のお母さんが持っているア
パートというのを見せてもらったところ、すぐ近く
にカトリックの学校があると言われました。そこを
見に行ったら、校長先生はニューオリンズ出身とか
で、痛く同情されました。学校もきれい、娘も気に
入ったようです。2年生の担任の先生二人も親切で
した。
娘は「あたしはここがいい」と心に決めてしまった
ようです。厳しいカトリックの学校に入れてみるの
もいいかもしれない、と結局そこに決めました。

決めながらも私は本当にいいのか、と思ってしまい
ます。決断をすることを、迷うのです。
しかし、他に何が出来るでしょう。ニューオリンズ
には今は帰れないのです。我が家がどうなっている
かはわかりません。
フラッドマップというのを見た人たちは、5−6
フィートの水だろう、と言っています。ということ
は家の中は2,3フィートかなーま、しょうがない
かな、などと楽天的に考えることにしました。それ
よりも私の仕事はーーと焦ります。でも、私の仕事
は後からでもなんとか巻き返せるだろう、しかし子
供の教育を怠るわけにはいかない、と自分に言い聞
かせました。彼女が学校に通い始めたのはハリケー
ンから2週間たった、9/9のことでした。

2005/11/24

避難時の混乱(その5)ビックスバーグ

運転を始めてから6時間くらいして、漸く、カウン
ターフローの道に出口を設けている所が見つかりま
したので,給油のために出ました。ミシシッピ州マ
コームです。
混んでるトイレに並び、パンなど食べて、今度はさ
とる君が運転を始めました。
相変わらず夫には電話が通じず、パトリック氏が本
当に受け入れてくれるかわからないまま、ほかにあ
てもないので進みました。

ところが、カウンターフローの道が渋滞してきまし
た。どうやら反対車線はこの先で閉じて、普通の2
車線に戻すようです。
地図を見ると、国道85というのがあり、それで西
へ行って国道61で北上しても、ビックスバーグに
は着けるようです。
そこで私たちは高速道路は下りて、85に乗りまし
た。辺りはそろそろ日が暮れようとしています。周
りは何も無い草原,時々牛や馬がいて、家が1軒,
ぽつんと立っているだけです。その中の1本道を
ビュンビュン飛ばしていたのですが、あともう少し
で国道61、という所でまたもや渋滞です。この辺
で皆西に向かい、またルイジアナに入って,更にテ
キサスへ逃げようというのでしょうか。

まあ50分くらいでそこは抜け、61に入りまし
た。もうすっかり暗くなり、辺りには街灯すらな
く、おまけに何やら曲がりくねった坂道で、向こう
から大型トラックが走ってくることもあり、あまり
スピードは出せません。制限速度で走る私たちの車
を,地元の車がすごい勢いで追い抜いていき、そし
て消えてしまします。
「あのさ、難しいだろうけどさ、もうちょっと早く
走らない?こう、置いていかれて、真っ暗になっ
ちゃうと、なんかこう、寂しい感じ」
笑ってごまかすのですが、私一人で運転していた
ら、さぞ恐ろしかったことでしょう。さとる君も
「ほんとにそうですね」と言いつつ、さらに進みま
す。

9時頃ビックスバーグかと思われるところへさしか
かったので、大きなガソリンスタンドへ入りまし
た。電話はもう、全く通じません。
ルイジアナナンバーの車が他にも何台か止まってい
ますが、皆どこへ行くというあてはないようです。
このままアーカンソーに出るという人たちもいるよ
うです。
このガソリンスタンドか、或は大きなモールでもあ
れば、そこの駐車場で止めて,車の中で寝る
かーーーと思い、娘に「仕方ないんだから」と言い
聞かせていたら、やっとのことで夫から電話が入り
ました。ビックスバーグにいるけれど、どこへ行っ
たらいいかわからない、この辺のホテルも全部塞
がっているらしい、と言いましたら「何とか誰かと
連絡をとってみる」ということでした。

間もなく、以前、ツアーバスの運転手をやってい
た、ラリー氏から電話が入りました。「うちには泊
めてあげられないのだが、近くのシェルターに案内
しよう」ということで、20分程して奥さんがやっ
てきて、教会に設けられているシェルターに連れて
いってくれました。娘と同じくらいの男の子も来
て、娘に何か話しかけたのですが、朝からのドライ
ブで疲れている彼女はろくに返事もしません。こん
なことは彼女には珍しいことです。「おなかが痛い
の」と小さな声で言いました。

とりあえずシェルターに入ると、40人くらいの人
が座っていました。テレビもついていて、やはりハ
リケーンがまっすぐニューオリンズの方角に向かっ
ているのが映っています。
と、日本の、とりやまくんから電話が入り、担当の
ニュース番組でインタビューを、というので、娘を
抱えながら答えました。「大変でしたねえーーーそ
れで、これからどうなさいますか?」「ちょっとま
だわかりません」

このシェルターは急ごしらえで、ベッド(コルト)
がありませんでした。皆、床に毛布など敷いていま
す。おなかが痛いと言うのに,参ったなあーーと
思っていると、とうとう、漸く夫と連絡がとれたパ
トリック氏が現れて「うちへどうぞ」と言ってくれ
ました。「救われた!」と思い,お礼もそこそこ
に、また車に乗って,後をついていきました。
何やら山道を登ったり下りたりして、小さな家に着
きました。リビングルームに大きなテレビがあっ
て、お天気のチャンネルがついています。ハリケー
ンの進路には変わりなく、明日の朝上陸するという
ことでした。しかし,とりあえず私たちは安全圏に
着いたようです。12時間余りのあてどない旅でし
た。

翌朝,起きてみるとパトリック氏はもう、仕事に出
かけたあとでした。町の地理も全くわからないの
で、持って来たパンやら缶詰やらを食べ、時々お天
気チャンネルを確かめます。娘は元気を取り戻し
て、キーボードを弾いたり、さとる君にちょっかい
だしたりしています。しかし、外はだんだん雨風が
強くなり、午後1時頃、ふっと電気が切れてしまい
ました。もうニュースは見られません。夕方になる
と水も止まりました。ハリケーンが予定通りにまっ
すぐ向かってきているとすると、ちょうど今頃ジャ
クソンの辺りなんだろうな、と思いながらパトリッ
ク氏の帰りを待ちます。

パトリック氏は6時頃帰ってきて、使ってないバス
があるから、そちらで過ごそうということになりま
した。バスの用意を手伝って,家に戻って来たさと
る君が言いました。
「テレビがあって,見たんですけどーーーちょっと
ショックな映像ですよ」
ニューオリンズは屋根まで水に浸かり、まるでアト
ランティス沈没のようでした。

●ニューオリンズから一緒に脱出した大橋諭さん(tp)のHPをご覧下さい。

現地での精力的な音楽活動をご覧いただけます。

satoru.net satoru-picture

2005/11/22

避難時の混乱(その4)8/28高速道路上で

それにしてもどっちへ行ったらいいでしょう?昨
日の夜中に出た人の話では,渋滞は去年ほどはひど
くない、ということです。それにしても、バトン
ルージュの方角を目指す人が多いでしょう。

「ともかく北西の方角だね。アレキサンドリアかな
んかーーI-10から、55に乗って北上して、それで
適当に西の方に抜けるかーーー」
55というのは、ポンチャントレイン湖の西側を走
り,更にずっと北の方に向かう高速道路です。私は
去年の9月、娘の空手のトーナメントでこの道を
通ってポンチャントゥラという湖のちょうど北西の
端の町にいったことがありました。普通ならそこま
で1時間半です。その先で適当に西の方角に曲がっ
てハリケーンをやり過ごしてまた戻ってくればーー
と思いました。

 ところが、もうメタリーの辺りから,車が混み始
めているではありませんか!去年のように、まるで
止まってしまうわけではありませんがーーもう少し
進むと、ニュースで言っていた、避難の混乱を避け
るための 「カウンターフロー」というのが実施さ
れていました。

 これは反対車線も開けて通すことです。バトン
ルージュに行く人は左、ラプラスの方は右に分かれ
るようになっていました。迷わず右に入ります。し
かし、まだ混んでいます。
「なんだか、バトンルージュの方がすいすい進んで
ますかねえーー」「そんなことない、目の錯覚!」
さとる君と私は焦る心をかくして笑い飛ばしながら
進みます。娘は後ろで本を読んだり、お菓子を食べ
たりしています。
 
ニューオリンズ在住の日本人のひとたちに知り合い
が沢山いるさとる君は,携帯であちこちに連絡をと
り始めました。何かいい情報はないかーーーという
わけです。何たって、公には何も指示されないので
す。日本なら地震があった場合、この地域の人はこ
のルートでこの公園に避難しろという表示がありま
す。実現可能かは別としても。しかし、前にも書い
たように、そういう情報は何もないのです。ただ
「出て行け」と言われるだけです。自分だけが頼
り、というわけです。
 
その日の朝早く出たみきちゃんは、同じ道を先に
通って、そろそろ55にさしかかると言っていまし
た。「もうすぐ行けば道も空いてくるようですよ」
こういう情報すら、自分で手に入れるのです。とこ
ろが、頼りの携帯も、だんだん通じなくなってきま
した。周りの車が皆携帯を使ってんだろうな
あーーーそこへ夫から電話が入ります。
「逃げることにしたからね」「何処へ?」「わから
ん。多分アレキサンドリアかなんかその辺」「パト
リックがビックスバーグにおいでって言ってたけど
な」

 パトリック氏は、夫のバンドが使っているツアー
バスの持ち主です。去年のIVANの後「うちにくれば
良かったのに」と言っていたらしいです。しかしこ
の時私は運転中、ビックスバーグは、55の途上に
あるのかと思っていました。ハリケーンも何時間か
したらこの道を北上する筈です。「何言ってん
のっ、ハリケーンの進路じゃないさ、どっかで西に
向かうからね」と言って電話を切り、私は運転を続
けます。55に入り、少しは車の速度も速くなって
きました。先行のみきちゃんにはたまたま電話が通
じて、「ポンチャントゥラでもガソリンはなさそ
う」という話を聞きました。身重のみきちゃんの体
が心配ですが「大丈夫。今休んでるところ」という
ことだそうです。しかし、我々がそこまで行くのに
はあとどれくらいかかるのか。確かに、みきちゃん
の通った数時間前より、車の量は増えています。
 
しかし、道はどんどん走りやすくなってきました。
55もカウンターフローを始めたからです。とにか
く遅れを取り戻さなきゃ、ということで、そのまま
走り続けます。
 
ところが、このカウンターフローには落とし穴があ
りました。みきちゃんも言っていたのですが、自分
で気がついて愕然としました。対向車線の左側に,
自然に入ってしまっていたのですが、そうすると、
出口がないのです。出られないのです。ガスはまだ
あるけれどーー

「こりゃあ、ナントカっていう地獄みたいだね。一
度走り出すと止められないっていう地獄」と笑って
すまそうとするものの、さて、何処まで行けるので
しょう。もう既にミシシッピに入っていて、アレキ
サンドリア辺りに抜けることも不可能です。と、地
図を見ていたさとる君が
「ビックスバーグってここですかねえ」
見れば、55の途上ではなく、それより西、ちょう
どルイジアナとの境に位置しています。「ふん、そ
こに行ってみるか」
 
そこでパトリック氏に連絡してもらうべく、夫に電
話をかけましたが、全く通じません。メッセージも
幾つも残しましたがだめです。私は携帯電話の
チャージャーさえ持ってきていなかったので、さと
る君の電話を使い始めました。しかしまるで通じま
せん。

2005/11/17

避難時の混乱(その3)8/28避難当日

さて、朝8時頃に起きて,娘に朝ご飯を食べさ
せていると、ベニーがやってきたので、ちょっと
驚きました。何故かと言うと、ベニーが「9時」
と言ったら、それは普段なら、10時か11時の
ことだからです。うちの夫はしょっちゅうツアー
でいませんから、家の中の何かがこわれたりする
と、私はベニーやスタックマンに電話することに
しているのですが、彼がこんなに早く来た!とい
うことで、緊張感が高まりました。
 
そこでさとる君に電話してすぐ来るように言いま
した。「いいですよ。ところで、Mさんとは話しま
したか?」「いやまだ」「おかしいな。朝から何
度電話しても出ないんですよ」
実は,昨日夜中に出発しようかという案もあった
のですが、M嬢が「夜は運転したくない」というこ
とで、あっさり却下になっていました。
 
さとる君も手伝ってくれて、板を窓に打ち付ける
作業はじき終わりました。去年のIvanの際、使った
板がそのままとってあったからです。ベニーに
「避難しますか?」と尋ねると
「残ろうかと思ったけど,娘が心配するもんで。
 ラファイエットの方に行くことにする
よ」ーーーいつもは残っている人も、今回は皆出
る用意をしているようです。ニュースは相変わら
ず、ハリケーンがまっすぐこちらに向かっている
ことを告げますし、ニューオリンズにも今朝7時
に漸く、強制避難命令がでたようです。しかしMが
来ない。
 
とりあえず、荷物をバンに積んで待っていよう
か、ということになり、買い置きの水やら、犬の
ケージやらを積み込みました。犬は、いつもはさ
とる君が遊びに来ると吠えるのに、今日は道連れ
ということがわかるのでしょうか、なついていま
す。
 
と、Mから電話が入り「あたしはバトンルージュに
行くからね」と宣言されました。さとる君と私は
呆然としました。もう10時過ぎ、うちの近所の
人たちもどんどん出ていっています。バンを運転
するか?しかし、慣れないバンで、途中で事故で
も起こして身動きとれなくなったら?おまけに、
さっき夫から電話で、バンは運転機能は大丈夫だ
が、ガスのメーターが働かないかもしれないとい
うことです。つまり、ガソリンが幾ら残っている
か確かめられないということです。そして、犬!
この大きな犬!
 
私はとっさに「ペットがあんまり沢山いるから、
避難はしないよ」と日頃言っている、ウインザー
コートホテルのバーテンダーの、エドワードのこ
とを思い出しました。うちの犬も彼にはなついて
います。飼い始めた時、様子を見にきてくれて、
訓練の手ほどきをしてくれたことがあります。電
話して避難するのか聞くと、やはり「残る」とい
うことです。犬を連れてっていいか?と聞くと
オーケーしてくれました。
 
ミッドシティに運転していって、犬を預けまし
た。娘は不満そうでしたが「ハリケーンが終わっ
て帰ってきたら、すぐ迎えに来るから」と言い聞
かせました。エドワードの家は、かなり背の高
い、しかも2階建てです。3日分のドライフード
を残し、ケージごと預けました。彼の家には犬2
匹の他、猫、オウム、熱帯魚など、ペットがわさ
わさ居ます。

ーーー私は後で悔やみました。なぜ、エドワード
を誘って一緒にバンで行かなかったか。或は彼に
バンを残していけば、沢山のペットたちと逃げら
れただろう。いや、せめて、バンに積み込んでい
た水の箱を置いてくるべきだったーーーしかし、
2、3日で戻ってくると、誰もが信じていたので
す。
 
いったん家に戻りました。うちの近所のガソリン
スタンドも、もうもぬけの殻で、売り切れのよう
です。「どうしようかーーースーパードームって
いう手もあるけどーー」という私にさとる君が
「逃げましょう!」と言いました。「ーーそうだ
ねーーよしっ行くか」
 
私の車で行くことになりました。バンで行くと
思ったからこそ、大きなアイスチェストなど用意
してたのですが、急遽とりやめ。パンや缶詰(サ
ザエさんじゃあるまいし、缶切りを忘れちゃいけ
ないな、と思って缶切りを入れたことが思い出さ
れます)、水は小さなボトル1ダースだけ、毛布
は娘用に1枚だけ積み、トランクに入っていた
キーボードのスタンドなどは家に残し、まずさと
る君の車をフレンチクオーターのはずれの3階建
て駐車場に持っていきました。バンには昨日ガソ
リンを満タンにしましたが、私の車には3/4し
か入っていません。でも燃費のいい車です。かな
り走れる筈です。
 
空は雲っていて、風が強くなってきました。人影
はチラホラーー「行くかね?」「行きましょ
う!」時間はもう11時になっていました。

2005/11/14

避難時の混乱(その2)今年の場合

 いよいよ、今回の避難の様子を書き始めます。
去年のIVANでは、1週間くらい前から皆騒いでい たと述べましたが、カトリーナの場合は、3日前の 夜に漸くニュースが流れました。金曜の夜、船の仕事から帰ってくると、ベビーシッターのアリシャが「ハリケーンがこっちに来るようですねえーー」と言って帰っていきました。7月に もそういうことがあって結局来なかったのですが,翌27日土曜の朝、レスリーから電話がかかってきました。彼女の息子はうちの娘と同い年で、学校は違うも のの、3歳の時から仲良くしています。母子ふたりの生活ですから、ハリケーンの時は,彼女はいつも いちはやく脱出するのです。「仕事に行くかどうしようか迷ってるの。フロリダの妹の所に行こうかな」

そこで私も気になって、リロイに電話しました。その夜はDonna'sの仕事があったのです。「ギグはキャ ンセルになってないよ。まあ大丈夫だろう」これはお昼前でした。しかし2時頃になって、レスリーは仕事は休みになったから、出る用意を始めると言ってきました。

リロイも「チャーリーからは何も言われていないが、これは今すぐ避難を始めた方が良さそうだから、今夜はキャンセルするよ。今からタイヤを直しに行ってくる」と言います。さて??

うちの夫はツアー中です。私は慣れないバンを運転したくない。しかしバンでないと犬を連れてくのは無理だしーーーと思っていたら、日本人トランペッター、大橋さとる君からの電話です。さとる君は去年のIVANではヒューストンまで逃げたそうですが、今年は車がちょっと心配だ、と言うので、じゃあ、バンで一緒に行こうかねという話が出ました。しかし、まだ決定したくないなあという感じです。去年の避難時のことを考えると、あのしんどいのを又やりたくないと思ってしまうのです。

するともう一人、M 嬢が電話をかけてどうするか聞いてきました。彼女は練習室である倉庫にこもる、というので、それはやめた方がいい、電気も何も止まったらかえって危ない、バンを運転できるなら一緒に行こう、ということになりました。とりあえず、逃げるとしたら、道連れが出来たわけです。

一人で、あてのない道を一日中運転するのは、どう考えても無理に思われました。
ベビーシッターの一人、ブリジェットは、娘が3歳の頃から,長いこと働いてくれていましたが、今度日本に行くので、お別れバーベキューパーティーを湖のところでやることになっていました。「まだやる予定だ」と言うので、とりあえず目の前の現実から逃避して出かけることにしました。ちょうどニューオリンズ大学の後ろの辺りです。他にも,何か集まって遊んでいる人たちがいました。

娘は他の子たちと堤防の土手を駆け上がって遊んだりしていましたが(つまり、子供が駆け上がれる程度の高さです)ブリジェットのお母さんの携帯には、時々知り合いから電話が入って避難のことを相談しているようでした。彼女たちは湖向こうのコビントンに住んでいます。

「I-12より南側には強制避難命令が出たらしいわ。どこに行くかはわからないけど、とりあえずどっかに逃げましょうか」ということでした。ニューオリンズをふくむOrleans Parish の隣、Jefferson Parishというのは、かなり広い地域を含むのですが、そこにも強制避難命令が出ました。

そこで私もうーん、やっぱり出なきゃならないだろうかーーと思い始めました。めんどくさいなあ。しかし、とりあえず、窓に板を打ち付けないとだめかなーーーベニージョーンズがわざわざその為に来てくれましたが、もう暗くなっていたので「明日の朝,9時に来る」といって帰っていきました。

娘を寝かせてニュースを見ていましたが,ハリケーンの進路は、いつもと違って、まっすぐこちらに向かってくるようです。そこでさとる君に電話して、バンにガソリンを入れてもらうように頼みました。「じゃあ、練習も兼ねて、ちょっと行ってきますか」戻ってきたさとる君と、さてどこへ行くか相談をしました。北西の方向に逃げるとして、ルイジアナの北のモンローなどという辺りはホテルも予約でいっぱいのようです。

岡田家はキャナルストリートのホテルをとったと言うので、それなら楽でいいや、とそのホテルに電話してみると「明日は営業しません」ということでした。ウイリアムに電話すると「どこかはわからないが、まあ、明日の朝出るよ」夜中になってしまいましたので、とりあえず、さとる君は家に帰り、私もさっと荷造り(保険の書類の他、3日分の着替え)をして寝ました。

さとる君は自分の車を、3階建ての駐車場に入れたいというので、朝、M嬢と待ち合わせて,車を置いて来てから、二人で9時頃にうちに来るということになりました。
 

2005/11/13

避難時の混乱(その1)去年の場合

やはり,避難時の様子を書いておきたいと思いま す。

「車もない貧乏人が避難しなかった」みたいに 言われていますが、それは事実とは違うからです。今回の避難のことを書く前に、去年のハリケーン IVANについて書かなくてはいけません。そうでない と,状況が説明できません。

2004年のハリケーンシーズンがもう終わるか という頃、だから多分11月に入っていたと思いま すが、大きなやつが来る、ということは、1週間く らい前から言われていました。しかも、このハリ ケーンによってもたらされる大水は、町全体を10 フィートくらいの高さで襲い、半年はひかないだろ うとも言われていました。

ニューオリンズは、海面より低い、湿地帯にあり ます。40年前のハリケーンベッツィというのが 襲ったときは、9th wordsという地域は屋根まで水につ かりました。しかし,このときは町全体ではなく, 一部が被害を受けたのです。家に水が入った人も生 き残って「あのときは」などと昔語りをのんびりす るような感じです。

ただ、ルイジアナは年々、地盤沈下しており、普 通の家ではどこでも、「家を持ち上げる工事」をし ておかないといけない状態です。ベッツィの時より も,高い水が襲ってくるのは明らかでした。

そんなわけで、私の周りでも避難の準備をする人 が沢山いました。さて、うちはどうするか。避難先は?避難できるくらい,適度にニューオリ ンズから離れていてーーーといっても、安全地帯で あろうと思われる所まで行くには、何時間も運転し なくてはいけません。ちょうどいい場所に知り合い や親戚でもいて泊めてくれるなら別ですが、そうで なければ、ホテルです。しかもヒューストンあたり まで、既にホテルは予約でいっぱいだということで
す。

更に、40年前のハリケーンでちゃんと生き残っ たうちの夫は「車は渋滞でどうせ逃げられやしな い。高速道路の途中で身動きとれなくなって、そこ でハリケーンに遭ったらどうするんだ」と言って腰 をあげません。高速道路ーー地図を見ればわかりま すが、I-10 という、南部を東西に走る高速道路は、 その大半が海の近くにあるのです。

それでも夫の妹はもう家を出た、などと電話が来て、ようやくその気になったらしく、弟二人を連れ てきたり、窓に板を打ち付けたり,用意を始めまし た。私も荷造りをしたり、冷蔵庫の残り物を片付け たりします。娘の学校は前の日から休みです。

結局家を出たのは,当日の朝5時頃でしたか。犬はケージに入れて、バンの後ろに積みました。高速道路の入り口はうちのすぐ近くです。とりあ えず、バトンルージュあたりまで行くかーというこ とで、西に向かって走り出しましたが、空港のあた りで、早くも渋滞です。

結論から言うと,このときは,渋滞がひどくて、 普段なら1時間で行けるバトンルージュには7時間 かかっても、たどり着けませんでした。途中でガスがなくなって身動きとれなくなっていた人もいました。ガソリンスタンドはどこもいっぱいでした。売 り切れの所もありました。

ラジオでニュースを聞いてるうちに、ハリケーン の進路が変わったらしい、ということで、うちはラプラスという辺りから引き返してきました。この ときのハリケーンはニューオリンズでは被害も大し てありませんでした。

しかし、渋滞のひどさ、避難ルートも避難先も指示されないことには懲りましたので、後になってから周りの意見を聞きました。逃げた人は多かったのですが、裏道を通ってなんとか北の方に逃げた、東に逃げたが、逃げた先のシェルターは、その州の人のもので、ルイジアナの人たちはショッピングモー ルの駐車場で車を停めて寝た、などという話もありました。

その後、うちの夫のバンドは,現在専門の運転手を雇って大型バスでツアーをしていますので、その 運転手さんたちに裏道などを聞いておくように、と私は何度も言ったのですが、
「40年前生き残った」という自信のある彼は話半分しか聞いていませんでした。「あんたね、40年前とは違うんだよっ!ニューオリンズは年々沈んでるんだよ、今度来たら、町全体が大洪水だよっ」と、私が怒ったんだが,自分は信じなかったーーーとロジャーは最近になって友人に洩らしています。

そういうわけで、避難ということ自体が、簡単なものではないのをわかっていただけましょうか。長くなりましたから,今回はここでおしまい。

今年の8/27からの様子はまた次に。
 

2005/11/10

最近のニューオリンズ画像

最近のニューオリンズの様子です。災害のひどさがお分かり頂けると思います。ピアノや椅子、ベッドもカビだらけで使い物になりません。部屋の画像は新聞に掲載されていたものです。しかし我が家の被害も大差ありません。私の家は現在、工事に取り掛かっています。
もっとご覧になりたい場合はhttp://www.nola.com/
nph-ec-photo-nola2  nph-ec-photo-nola4  nph-ec-photo-nola6 nph-ec-photo-nola7

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2005/11/07

被災後の我が家

別のページで書かれているように、私のパソコンが復活いたしました。
この度、お電話やメールを下さった方、さらには慰問の品(!自分がそういうのを受ける立場になろうとは!全く、まだ、すべては夢の中の出来事のようです)を送って下さった方、どうも有り難うございました。
避難時の様子など、いろいろ書いていきたいと思っていますので、「こういうことが知りたい」など、ご希望がありましたらお寄せ下さい。
とりあえず、この場を借りて真っ先に申し上げたいことは、皆様の応援に対してのお礼と、お詫びです。
 1985年にニューオリンズに来て以来、たくさんの方、友達、後輩、それ以外のジャズ関係の方々にお世話になってきました。その多くは、私がこっちに来た後に知合った人たちや親しくなった人たちでした。
 ニューオリンズや日本で過ごした楽しい時間は、私の心の中にしまってあるものですが、物理的なもの、端的に言うと、ニューオリンズにいらっしゃった時に持ってきて頂いたもの、日本から送って頂いたものですね、これを今回殆ど失ってしまいました。申し訳ありません。
 実際、物自体は、楽器だって、また買えるからいいさ、と思ってはいましたが、思い出の品というのは取り返しがつきません。写真、特に娘の写真の他、頂いた物が沢山あったことに今更ながら思いをはせます。昨今でこそ、本もインターネットで注文しやすくなりましたが、以前は皆わざわざ本屋に行って買ってきてもらっていたわけで、それをなくしてしまったことは
誠に申し訳なく思います。(ちなみに、本で救えたものは、上の棚の方にあったもの、まんがの一部、古典ものの一部、歴史ものの一部です。在庫の1/3くらいですね。うちに来たことのある人はわかるだろうけど)
 しかしまあ、命あっての物だねといいますか、昨日ニューオリンズのニュースサイトで見たところによれば、市内で亡くなった方1070人余り、水のひどかった所は、あちこちの家の壁に、ゼロでないナンバーが書いてあります。家の中で見つかった死体の数です。或は「2 dogs]などと書かれています。私も、自分の家のドアを開けた時は、ああ、ここにいたら間違いなく死んでたな、と思いました。内部の水の高さは3フィートぐらいでしたが、水の入ってきた勢いはすごかったようです。それなのに、ドアを開ける前、外から見ただけじゃわからない、というところがミソです。また、ベッドはそのまま浮かんだらしく、シーツや、その上に娘が脱ぎ捨てたパジャマは乾いたまま、というのが不気味でした。
 10年くらい前にニューオリンズにいらっしゃった人はわかるかな、Fred Kemp(ファッツドミノのテナーなどやっていた。本人は97年に逝去)のご両親は、 UNO近くの自宅内部で発見されました。
 今日はとりあえず、の分だけ書こうと思ってたのに、もうこんなになっちゃった。ともかく、生き残った私です。12月のコンサート、9、10、11の後、12、13、14と娘と滞在する予定ですが、皆、どうか会いにきてね。楽しみにしています。ほんとに、命のあるうち、です。

2005/08/26

素敵なドラマーのジェロ” He is a good man”

ジェロ(ジェラルド・フレンチ)が日本に行っている間に、コラムに何か書いてやろうっと思っ
old_friends_band ていたのですが、ついつい遅くなってしまいました。何故かこの4週間ばかり、仕事が週に5、6つもあるのと、娘の学校が始まったのと(朝7時50分に始まるので、起床6時半)、更に、Harry Potterにかまけてしまった為。(新刊ではなく、#5ですが、これが、子供用辞書くらいの厚さがある。わからない単語なんかすっ飛ばして読んでも、1週間かかっちまった)

そんな中でLouisiana Music FactoryでのCDプロモートコンサートは無事にすませました。ウイリアム、ジェフェリー、カズン・ワトソン、ジェロ、皆揃って楽しいひとときでした。自分でアナウンスをやるのがきつかったけどーー。いつもはやりませんからねえ。

大体、ピアノって、ステージの端に、あっちの方(客の方ではなく、後ろとか横とか、関係ない方向という意味)を向いて置いてあることが多いのです。曲の終りを確かめるために、トランペットの方を見ようと無理すると、翌日筋肉痛になったりするくらい。

そういうわけでピアノに坐ってMCもやるというのはなかなか辛いのですが、今回は自分の marimaya コンサートであり、恥ずかしいなどと言ってもいられませず。曲の途中で「ーーーに拍手を!」などというのはウイリアムにやってもらう事にして(いつでも何でも引き受けてくれる優しいウイリアムは、実は小学校の先生です)曲紹介、メンバー紹介はやりました。

「まずメンバーを紹介してしまいます。こういうことには慣れてませんので、後回しにすると、忘れる恐れがあるからです」と始めたら、ジェロが後ろで大笑いして、スネアを1発!こういう呼吸を心得ていますねえ、彼は。(ーーーと、強引にジェロのことに話をもっていくのであったーー)

15年以上前かしら、ジョン・ブルーニスが毎週のように船の仕事をやっていて、ジェロと演奏したのはそれが始めてでした。まだ22歳くらいじゃなかったかな。ドラムはうまかったですが、態度のでかい奴だ、くらいにしか思ってませんでした。
その後、グレッグ・スタフォードやら、リロイ・ジョーンズやら、いろいろなバンドで会いましたが、最初の印象があったので、特に親しくはなりませんでした。(しかし向こうもそう思ってたに違いない)

この印象を変えたのは、ドリーン・キチンズのバンドでサンフランシスコに行った時です。大きな出来事があったわけではないのですが、旅にあったからでしょうか、「この人は嫌な顔ひとつしないで、一生懸命仕事をやる人だなあ」と気が附いたのです。空港に着いて、寒い中、ホテルに行くリムジンがなかなか来ないで皆苛々している時でも、ゆったりと構えていました。帰りは私とジェロ二人だけだったのですが、混んだ飛行機の中、さっさと付け足しのシートベルトを貰って(普通のベルトじゃ届かないから、間にもう一つベルトを足す)腕を組み、枕をかかえて寝てしまいました。
ジェロの隣というのはなかなかきつかったですけど(精神的にではなく)その旅慣れ
た、誰にも迷惑をかけない様子が私には新鮮でした。

何となれば、いつでもどこでも、文句を必要以上に申し立てたり、人に喧嘩を売ったりして、皆の気分を害する人がいるからです。旅じゃなくても、普通の仕事においても。

更に、グレッグの仕事でシカゴの辺りに行った時、この印象は深まりました。ニューオリンズはもう半袖の気候でしたが、ここでは雪が積もっており、寒いので皆の気分は仕事前に落ち込みました。演奏自体はよかったのですが、終わった後、学生のインタビュアーがやって来て、録音しながら、1人ずつに細かいことまで質問して、すっかり夜遅くになってしまいました。それでもジェロは「ドラマーの役割?バンドの骨組みということでしょうねえーーー」などと、真摯に答えていました。

私のレコーディングの時も、実に楽しそうにやってくれました。歌のとり直しの為にもう1回スタジオに行くという時も文句ひとつ言わずにやってくれました。

ニューオリンズに素晴らしいドラマーは沢山います。しかし、一旦仕事を引き受けたら、一生懸命、全力を尽くして、明るくこなすというのは、誰もがやれることではありません。とくに、ツアー時では、このポジティブな態度が、周りの人、特にバンドリーダーにとって有り難いものです。ジェロが何故毎年日本を訪れるか、これでおわかりでしょう。ドラマーとしての才能については、ここで述べるまでもありませんね。

私自身、愛想がないため(と人は言う)こちらが嫌だと思う人には話し掛けなかったり(特に英語では!)していたのですが、ジェロに見習って、仕事は明るくこなそうと努力するようになりました。これも彼のお蔭です。

そんなわけだから、日本にいる間、皆応援してあげてね!

■ジェラルド・フレンチは今来日しているウエンデル・ブルニアス&ニューオリンズジャズ・オールスターズのメンバーです。東京での公演はすべて終了し、この台風の中、昨日は東北の秋田、今日は青森公演のスケジュールです。台風の影響が無いか心配です。という事で今回彼の演奏を東京で聴くことは出来ませんが12月3日に再来日が決まっているそうです。詳細がわかり次第HPに更新します。それから記事にあったジェフェリー(tub)が10月8日にトレメ・ブラスバンドの一員として来日します。詳しくは”Hear Me  Talkin' To Ya"をご覧ください。(東海林)

2005/08/10

若手No.1のチューバ奏者ジェフェリー

”今日のプリザベーションホールはなかなか楽しかった”

ジェームス(tpt),ダニエル(sax),レスター(tbn),それにジェフェリー(tuba)とシャナン(dr)

やっぱりシャナンのリズムは全然他の人と違いますねえ。それに、スーザホーンとやるのは嫌いな人も多いけど私は大好きです。チューバファッツと長い事演奏していたせいもあるでしょうが。

もともと私はJAZZ BEGINSというブラスバンドのアルバムが好きで、ニューオリンズまで来たんですがオリンピアのハロルド・デジャンと、ベースの居ないトリオをやることになり、ハロルドが吹き易いようにチューバファッツの音を研究したんです。

その後チューバと長くストリートでやることになりましたが、ーーーそれは長くなりますから今回は書きませんがーーーその後も、カーク・ジョゼフと演奏したり、スーザホーンには縁があります。あの、エネルギーが好きです。

私がストリートに出ていた頃、リトルラスカルズというチビッ子達のブラスバンドが出て来ましてそれはまあ、うるさい音でやっていました。ジャクソンスクエアの、騒音取り締まりの条例が出るきっかけの一つになったんじゃないかなーーーほんとにひどかった!ところが、だんだんうまくなってきましてね。

そのスーザホーンを吹いていたのがジェフェリー(注1)です。
jeferey その頃は、学校で使う、小さめの楽器を使っていました。
何年かして、だいぶ大きくなったジェフェリーが「マリのベースラインはかっこいい。
教えて」と言ってきました。チューバファッツ(注2)が歌う時、私はベースラインを弾いていましたからね。
「これはねえ、チューバ(ファッツ)から取ったんだよ。チューバのを直接聴いた方がいいよ」「へーえ」

今や、彼はPホールのレギュラーで、その他のバンドでもひっっぱり凧の、若手実力派チューバ吹きです。態度もきちんとしてるしね。ジェントルマンだし。子供は3人もいます。私のCD録音のためのリハーサルに、うちに来た時は、うちの娘ともよく遊んでくれました。

「CD作るんだけどやってくれないかなあ?」「マリのためなら、喜んで!他の人じゃない、マリだからね!It's you!」と嬉しいことを言ってくれました。
その後あまり機会はないんだけど、一緒に演奏出来る時、幸せな気分にしてくれるミュージシシャンの1人です。

(注1)ジェフェリーはジェシーヒルJessie Hill(1960年の大ヒット作OOH-Poo-Pah-Dooを歌った)の孫です。

(注2)チューバはゴジラのような眼つきと体格をしているので、風貌から一見怖そうに見えるが他人に色んな気配りをする人だった。彼はダニー・バーカー音楽教室の第一期生です。私は悪いことも教わったが何かわからない時、彼に話すと親身になり相談に乗ってくれた。tubalinda
写真のリンダはチューバの奥さんでヴォーカリストです。彼女が歌うゴスペルは神がかり的で、ものすごい迫力があった。
"The Butcher Cut Them Down"今は二人とも天国にいます。(東海林)

写真(右から):"Lady"Linda Young  Anthony"Tuba Fats"Lansen  Hiro Kohdaira

2005/08/07

暑い中でのサッチモフェスティバル

これは、ニューオリンズでこの週末やっている、サッチモフェスティバルです。
ーーー音楽のことも書かなきゃね。
といっても、私はステージを見てまわったわけじゃありませんから、詳しい事は書き
ませんよ。

というのは、暑い!これはジャズミュージアム、MINTで行われるのですが、一体どう
して、中でやらないのだろう。2階3階とあるのだから、そちらでやればいいものを、
今年は建物の周りに4つステージを作って行われています。ステージは一応、テント
みたいなもんで、蔭になっているけど、客は炎天下で坐ったり、立ったりして見てい
ます。食べ物も少し売ってはいるが、暑い中で熱いいものを食べたいだろうか?
ジャズフェスの暑さとは違います。あれは夏の始まる前の暑さ、いまは夏真っ盛り。

そんなわけで今日はドリーン と、明日はジョンとのステージがありますが、私は長
居しない予定です。来年観に来ようと思われる方は、涼しい格好をして、日焼け止め
クリームなども用意して来て下さいね。

出ているバンドは、毎年変わります。モダンジャズのステージが1、ブラスバンドの
ステージが1、あとはまあ、トラディショナルですが、外国からよんだバンド(外山
氏もこの3年くらい来てらっしゃいます)も多く、ニューオリンズの某若手トランペッ
トは「ウエンデルはどうした、リロイはどうした、何のためのフェスティバルだ」と
文句を言っています。しかし、それはいつでも言えることであって、あのジャズフェ
スだって、地元のミュージシャンの待遇は決して良くないのに、有名なソウルシンガー
は1万ドルでよばれた、なんてことがあるわけですからーーまあ、ビジネスってそん
なもんです。

それでも今年はニコラスペイトンが出ています。来年はわからないけどーー
夏休みくらいしかニューオリンズに来るチャンスがないという人は、それなりに楽し
めるかなーーーしかし、身体には気をつけて。水を沢山飲まないと、脱水症状を起こ
しますよ。救急車も待機していますけどね。

2005/08/05

警察の残忍さ(police Brutality)

もう1ヶ月程前の話になりますが、まずこれを読んでみて下さいね。
英語は嫌だと言う人は読まないでもいいですけど、ジャズを聴く以上、英語には慣れ
た方がいいですよね、やっぱり。
wwoz

11月からイースターの日まで、毎週日曜、ニューオリンズではパレードがあります。
ブラスバンドやインディアンの面々が演奏します。これはイースターの前の、St.Joseph Dayの
インディアンの集まりで、警官がインディアンに不当に暴力を振ったということで(その件に関しての当時のニュースは、
何故か検索できませんでした。もう消されておりました。よって細かいことは書けないが)市役所に関係者達が
集まったのです。その席で意見を述べようと立ち上がったチーフ・モンタナは心臓発作で倒れたのでした。

この事件は暫くマスコミを賑わしていました。チーフの中のチーフ、と言われた人が、
警察の不当な暴力について喋ろうとしていて、そのまま亡くなったのですからね。
余程、ストレスになっていたんでしょう。葬式はマヘリアジャクソンシアターで盛大に行われました。

そして先週末は、トレメ地区で、警官が、家の前に坐っていた人を殴り殺し(亡くなったのは病院に運ばれてから)
問題になっています。この件では、警察署長も即座に調査を始める様、指示したそうです。遺族から苦情が出たからです。

abc 26 wgno

こんな事件はニューオリンズだけでなく、アメリカのあちこちで起こっています。
犯罪を取り締まるために努力している警官もいるでしょうが、その逆も多いのです。
何年か前、ニューオリンズ警察の中の何人かが、犯罪に手を染めているのをFBIに告発されたことがありましたが、
その主犯(FBIの囮捜査官と話し合っているところが、全米に放映された)を死刑にするかどうするか
そろそろ結論が出るらしいです。

the new orleans channel

アメリカの暗黒面といいますか。特に、ニューオリンズはマフィアの力が強いですし、
政治家の汚職もひどいものです。前の市長やその周りの汚職事件は今も捜査中ですし、
車検のオフィスが一斉に摘発されて、半年くらい閉まっていたこともあります。
 
教育関係もだめで、どの教育委員長も財政改革することは不可能というわけで、
何やら、そういう財政立て直しを専門に行う会社を雇うことになるらしいです。
その会社は、どこか別の都市で、予算節約のため、幾つも学校をつぶしたので、またこれも賛否両論。

そんなわけで、実生活では、ニューオリンズってとんでもない所です。
それでも皆この街に憧れてやって来ますね。空港に降り立った途端、
人間の温かみということがわかる街ですからね。他の空港と比べればわかります。
まあ、それが悪く出ると、この、何と言うか、なあなあの、どうでもいいじゃないか、
そんなもんと言うような風潮になってしまうのかもしれませんけどね。

2005/07/21

まやチャンの夏休み

次を早く書け、書けと言われているのに、なかなか書けない。

何故かと言うと、娘が夏休みでうちに居るからですアメリカの学校ーーーいや、ルイジアナと言っておきますか、の学校は、大体6月から8月半ばまで休みです。昼間働いている親は、それじゃ困りますし、家でぶらぶらしてても碌なことはないーーー日本と違って、非行と言えば、命に関わってくるようなことばかりですからねーーので、サマーキャンプに入れる親も多いです。キャンプと言っても、何もキャンプに行くのではなく、普通に学校に行ったり、スポーツやアートのクラスに行ったり、様々です。市がやってくれるものは、安いけれど、一日つぶして申し込みに並ばなくてはなりません。他の私立の学校や、美術館、大学にある保育園などがやっているものは、費用が高いです。

去年は、娘に日本語の読み書きをしっかり学ばせようと何処にも入れませんでした。まだ5歳で、入れるキャンプの選択の幅が限られていたこともありますが。そして、私は疲れ切ったので、今年は、日本語の勉強もさせるが、午前中だけどっかに行かせようかと思い、ニューオリンズ美術館がやっている、アートクラスに入れました。2週間に渡って(週3回)テーマに沿った、アートクラスが4つ、あります。そのうちの2つに行かせましたが、本人は楽しいようです。祖父に動物の描き方を教
わって以来、絵を描くのは好きですね。

ここの美術館は小さいながら、場所柄、良いものが揃っていますので、興味のある人は是非おいで下さい。ピカソ、ゴギャン、ドガもあるし、有名なマリーアントワネットの肖像もあります。この間旅行で行った、シカゴのField Museum(史上最大のティラノサウルスの化石がある所)とは、規模は比べ物になりませんが、半日つぶすにはもってこいです。フェアグラウンドの近くです。

それはさておき、娘には夏休み用のワークブック、くもんの平仮名カタカナなどをやらせるのですが、それが何であんなに時間がかかるのか。早くやってさっさと遊びなさいと言うんだがーーー勉強は好き、ピアノも空手も好きだから続ける、と本人は言うのだがーーーあー疲れる!こちらには学習塾に任せるというシステムはないので、親が宿題もきちんと管理しな
きゃいけなくなります。しかし、それはまた大変なのだ。親の忍耐力への挑戦ですね。

なんか育児日記みたいになってきた。そんなわけで、娘は7歳になったばかり。まだまだ先は長い。夏で仕事は少ないけど、たまにやるバンドの仕事は息抜きみたいなもんです。やれやれ。ーーーー
以上、ニューオリンズ学校事情になっちゃった。

2005/07/15

CDを聴いて頂き御礼申し上げます。

ジャズハウンズ結成、更にホームページ開設など、おめでとうございます。これからの御活躍を期待しております。

さて、コラムのページを作って頂きましたので、まずはCDを聴いて下さった方にこの場を借りてお礼を申し上げます。初回から個人的なことですみませんが、なかなかこういう機会もないもので。

感想を寄せて下さったものには「丁寧に作られている」「心が癒される」「泣けた」などありまして、製作者としては、幸せな気分です。地元ラジオ局WWOZでも、何人かのDJが定期的にオリジナル曲をかけてくれており、皆様のご厚意がしみる今日この頃です。

ミュージシャンだけでなく、普通の人が喜んでくれるのも嬉しい事です。今回、自分でCDをプロデュースすることにしたのは、曲や共演者などを好きに決められる事、売れなくなったからと言って廃盤にされたりしないことが、理由でした。

プロモーmari_portrateトしていくのはなかなか大変ですが、それにもつけて、リスナーからの励ましがとても有り難いです。---こういうのって、決まり文句みたいですねえ。でも我が身で体験してみて実感いたしました。

みなさん、どうも有難うございます。これからも宜しくお願いします。